50代女性のこれからは場所と時間に拘束されない働き方で心地よく生きる
私は会社員時代、「このままの生活で、定年を迎えるのは嫌だな」と思っていました。
それと同時に、もう一つ思っていたことがあります。
それは、「パソコン1台で自由に場所を選ばずに、どこででも仕事ができるようになりたい」と思っていました。
一番の理由は、私は一人っ子なので親の介護の問題が出てきた時に東京で会社員をしていては、会社を辞めて田舎に戻り介護をするという現実を迎えるかもしれないと思いました。
そうなった時に、自分の持ちの中に「犠牲感」が生まれると思ったからです。
介護はまだ先と思っていたけど突然やってくる
「あと10年は大丈夫」と思っていた親の介護問題がグッと近くになった時、「やっぱり、会社に拘束をされた仕事はもうできない」と思いました。
以前、私は30代40代は仕事が忙しくて子供との時間があまり取れずに、後悔をしていた話をしたと思います。
しかし、過去は取り返せませんので、自分が進むであろう未来に目を向けた時に、今度は親の介護問題と、親との時間が限られてくると考えました。
子育ての時は、会社に拘束をされて子供との時間が思うように取れなかった後悔を、またしたくはないと思いました。
今は、その考え方が良かったと思える自分がいます。
両親との時間を短くても取るようにしている
昨日は、自分があの時に描いた未来が、現実になっていることを実感しました。
夕方、犬の散歩をしてそのまま実家に行くと、父はお夕飯を作っている最中で、大根と豆腐の味噌汁、野菜たっぷりの豚肉の炒め物を作っていました。
常備菜として私が作った、新玉ねぎのマリネと、カブときゅうりの辛子漬けが、既にお皿に小分けにされてテーブルに並んでいました。
父がお夕飯を作っている間、私は母が飲む薬を、飲み間違えないように小分けにケースに入れる作業をしました。
母はお風呂に入っていて、ご飯を作っている合間に父が母の体や頭を洗い、私もお風呂場へ様子を見にいったりしてました。
両親にとっては、わずかな時間であっても、私が近くにいる”この感じ”が安心感になっているようです。
そして、私自身もそんな両親を見ていて安心しています。
家に帰るときに父が、「俺が作ったおかず、今晩のメシの足しにしたらどうだ?」と勧められましたが、そこはやっぱり気が引けるんですよね。
フライパンの中身を覗きながら、たくさん作ってあるのであればもらいますが、昨日は二人分に少し多い量でしたので、「今お腹が空いているから、味見をしたいな〜」と言いながら、やんわりと断りました。
台所に立ちながら菜箸で父が作った肉野菜炒めを小皿に取り私は”味見”をしました。
隣に父も立っていて「どうだ?味は」と私に聞いてきます。
お風呂から上がって着替えを済ませ、台所と続きになっている洗面所にある椅子に座ってこちらを見ている母。
「うんうん、美味しい」と言いながら私は父と会話をし、「お父さんの料理、味が好みなの」と微笑みながら母は私と父に話します。
こんな些細なことなんですが、私には大切な時間なんです。
将来親の介護を不安視する女性が多い
私は会社時代に、「将来、パソコン1台で自由に場所を選ばずに、どこででも仕事ができるようになりたい」と思っていたことが叶っていました。
きっとこれからは、私のような親の介護の心配を持つ女性が増えると思います。
そして、私が50歳の時に子供たちは社会人になり子育てと介護が重りませんでしたが、私の年代で子育てと介護を同時に行なっている人もいます。
仕事を辞めれば収入もなくなりお金の不安も出てくるので心が暗くなり、更に体も疲弊してきます。
そんな女性たちに、将来明るい未来があることを伝えていき、自分の手でその未来を掴んでもらえるサポートをしていきたいという夢が私にもできました。
「犠牲感」ではなく、「自分が選択したこと」と思えるには、自分の人生も大切にしなければならないと考えます。
幸せな気持ちは周りへ波動していきます。
人生100年時代ですし、自分の人生は自分で楽しまなきゃです。
軽やかに、心地よく頑張って明るい未来へ進んでいきましょう。
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