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ー 50歳からの心と暮らしの整え方 ー 成瀬汐里のブログ

プロフィール

はじめまして。管理者の 成瀬汐里 です。

このブログをご覧いただき、ありがとうございます。

こちらのページでは、私のプロフィールを紹介させていただきます。

 

プロフィール

■ ブログ管理者:成瀬 汐里(なるせ ゆうり)

■ ニックネーム:ゆうりん

■ 1969年生まれ

■ 東京と地方の二拠点生活

■ 趣味:読書、旅行、映画鑑賞、グルメ、ドライブ

 

【私の履歴書】

仕事、家事、子育てに奮闘していた日々

私は東北の田舎で育ち、高校を卒業後に東京のインテリアの専門学校へ進み、卒業後、就職のために地元へ戻りました。

その後、地元で結婚をして子供にも恵まれ、現在は、夫、子供2人の4人家族です。

あと、愛犬を1匹飼っています。

 

私は、子供達が小さい頃から家事と仕事と子育てをしてきました。

私が休みの日以外は、家族が揃ってご飯を食べることがほとんどできませんでしたので、手作りのお弁当だけは家族に持たせたいと思い、頑張って作り続けてきました。

 

とは言いながらも、中身は、定番の卵焼きやウインナー、前の晩に多めに作ったおかずや、休みの日に一週間分作って常備しておくおかずなどでしたので、「キャラ弁」のようなキラキラしたお弁当ではありませんでした。

一応、基本の3色を意識して作ってはいましたが、子供達が喜ぶようなお弁当ではなかったかもしれません。

 

 

そんなお弁当作りも、気付いたら27年間も作り続けていました。

今は、息子のリクエストがあるときだけで、ほとんど作ってはいません。

 

私が会社員時代は、子供達にとって忙しい母親が当たり前といった環境でしたが、それでも子供達は優しく元気に育ってくれました。有難いことです。

今では二人の子供達はすっかり大きくなって、無事に社会人になりました。

 

夫を地方に残し上京 子供と二人暮らしを開始

夫の後押しもあって、私は東京の会社で仕事を始めました。

そのタイミングで、大学進学が重なった下の子と、東京で二人暮らしを始めました。

 

当時、上の子は別の地方の大学に通っていて一人暮らしをしていましたので、我が家は3拠点生活を開始することになりました。

子供達は私立の大学に進学をしましたので、家計への負担はとても大きなもので、お金が一番かかる時期でした。

 

上の子への仕送りと、東京での生活、地方に住む夫の生活、住宅ローンの返済、で夫と私の収入は湯水のように消えていきました。

「子供に手がかからなくなると、今度はお金がかかる」とはよく言ったものです。まさにその通りでした。

 

大学進学の息子と一緒に東京で生活を開始

地方は車社会ですが、東京は電車での移動が多い生活です。

毎日、往復2時間通勤時間に、はじめの頃は朝の通勤ラッシュで気分が悪くなり、途中で降りて休むこともありました。

 

家に帰ってくる時間も、だいたい夜の9時を過ぎていて、それからご飯の準備をすると10時過ぎになってしまいます。

それから子供と食事をとるといった生活に、時々そのまま化粧も落とさず寝てしまうこともありました。

 

しかし、仕事はやりがいがありましたし、上司や同僚にも恵まれていたので毎日充実していました。

たまには、会社帰りに同僚と美味しい食事を食べに行ったり、自分では行けないようなお店に、同僚と上司に連れて行ってもらいご馳走になったり、お酒を酌み交わしながら仕事について語り合いました。

 

地方だと車社会ですので、お酒を飲みに行く機会も少なく、仕事中にサクッと、その日の帰りの約束ができることも新鮮でした。

東京での生活にも慣れはじめた1年を過ぎた頃、いつものように朝の通勤で、新橋の駅を降りて虎ノ門ヒルズ方面に在る会社に向かっていました。

 

一斉に同じ方向へ向かうビジネスマンの中に紛れながら、背後から朝陽に照らされた長く伸びた自分の影を踏みながら、地方で忙しく仕事をしていた時のことを思い出しました。

それは45歳の時で、

 

15年前は30歳」 15年後は60歳」

「15年ってあっという間なんだな。このまま15年あっという間に過ぎてしまうんだろうな・・」

 

という言葉が、ふと頭に蘇ってきました。

その日、残業を終えて駅に向かって歩き始めた時、朝浮かんできた言葉を、また思い出しました。

 

「このままでいいのかな・・」

 

何となく心の中で呟いていました。

 

 

 

不動産投資との出逢い

「このまま定年を迎えたくない」という思いから、会社員の他に何かで収入を得る方法はないかと探し始めました。

2ヶ月間、いろんなセミナーへ参加したなかで、「株式投資」と「不動産投資」をやってみようと思いました。

 

「株式投資」は、以前自己流でやって失敗したという苦い経験がありましたので、結果的に「不動産投資」を選びました。

建築関係の仕事をしていたので、共通するところもあり、始めやすかったのだと思います。

 

 

しかし、やっとの思いで築古のアパートを1棟を購入して、これから買い進めようとした時に、病気になってしまい物件を買い進めることができなくなってしまいました。

でも、勉強はこれからも続けて、買えるタイミングに備えたいと考えています。

 

そんな自分が勉強してきた知識と、30年間住宅業界にいた経験を、これから不動産投資を始めたいと考えている同年代の方に向けたブログも立ち上げました。

 

興味のある方は、こちらもご覧ください。
↓  ↓
母大家の不動産投資 〜50代手前から夫にナイショで始めた大家さん業〜

 

会社員を卒業した50歳の時、病気で入院

50歳を迎えた時、家族に相談をして会社員を卒業しました。

下の子も社会人となり子育てもひと段落をしたので、この時すでに副業で始めていた「不動産投資」と某協会に所属して行っていた「講師業」を本格的にやっていこうと決心をしました。

 

夫や上の子は賛成をしてくれましたが、下の子は忙しくしていた私の姿を見ていて、無理をするのではないかと不安だったようで、あまり良い反応ではありませんでした。

とはいえ、そんな息子も最終的には応援をしてくれました。

 

せっかくの家族の応援もあり、新しいことを始めようとした矢先、50歳も終わりを迎えようとしていた時私は、「横断性脊髄炎」という病気を発病しました。

会社員時代に副業で始めていたセミナーの講師業も楽しくなり始め、素晴らしい仲間にも恵まれながら、同期の仲間と初めてセミナーを共同開催し満員にもなり、無事に3ヶ月間の本セミナーを終わらせて好調なスタートを切った矢先でした。

 

病気は東京の病院では見つけることができず、地方の自宅近くにある大きな脳神経外科でみつけてもらいました。

発症からわずか10日で、病状は歩行困難にまで進行しました。

 

進行が早かったので、あと1週間発見が遅れていたら「歩行できない身体になったかもしれません」と主治医に言われた時は、さすがに怖かったですね。

入院中は、「歩行が不自由だと家族の助け無しでは生活できない・・、 そんなの嫌だな・・」を毎日頭の中でループしながら、あっという間に起こったこの現実をなかなか受け止められませんでした。

 

「もしこのまま歩けなくなったら・・」 いや 「死んでしまったら・・」と考えた時に、「あれもやりたかった」「これは家族に伝えておかなければ」など、いろんなことが浮かんできました。

 

 

そんなことを経験をし、今は、日常の生活も家族の介添えが必要のない、普通の生活が送れるまでに回復をしました。

 

諦めずにやれるだけやってみよう

少し後遺症があるので、このブログを書いている時も脚がしびれてきて集中できない時もありますが、そんな時は気を紛らすために大きな声で歌を歌ったりしながら書いています。

家族が出かけているときや、夜、寝た後ではありますが。笑

 

「家族に迷惑をかけずに一人で生活ができるようになりたい」その一心でリハビリを頑張って、普通に生活ができるまでに回復することができました。

これからも完治を目指しリハビリを続けます。

 

そして、自分がやってみたかったことを元気でいる限り挑戦していこうと思います。

 

病気療養中にマヤ暦と出逢う

私が退院して8カ月程経った頃、マヤ暦のアドバイザーになったばかりの友達に協力をするために、マヤ暦のスタートアップ講座を受講しました。

それまで、仕事ばかりをしてきた私は、占いというものをあまり気にしたことがありませんでした。

 

勉強を始めると、今までにない新鮮な感覚でした。

私のKINナンバーはK91。

  • 太陽の紋章(顕在意識):青い猿
  • ウェイブ・スペル(潜在意識):青い嵐
  • ガイド:青い鷲
  • 音13

です。

  • 私が顕在意識として持つ、”青い猿”の紋章の意味は、目の前の人を楽しませ、目の前のことを楽しくやり直感を大切にすること。
  • 無意識レベルの潜在意識の”青い嵐”は、寝ないでも働けるタイプ。嵐というから拡散力が大きい。食べるのも作るのも好き。
  • ガイドの”青い鷲”は、先を見渡す力があるが、モチベーションを落とさないようにすること。
  • “音13″は、忍耐力があり我慢強い。好きなことに没頭する人。

というような意味を持つK91だということが分かりました。

 

あてはまっていることが、意外と多かったので、マヤ暦に面白さを感じました。

スタートアップ講座では自分の年表も作るのですが、それに当てはめると、東京で仕事をすることになった意味、私が病気になったこと、東京の病院で病気が見つけられなかったことなど、いろんなことがピタリと合っていたのがとても不思議で、驚きの連続でした。

 

面白いようにパズルが当てはまっていく感覚を経験し、一気に勉強を進め、半年も経たないうちにアドバイザー試験を受けるまでになりました。

しかし、コロナの影響で2度の試験の延期になり、初受験を試みてからようやく4ヶ月後に試験を受けることができました。

そして無事に合格できました。

そこからセッションを重ね、気付くと300人を超える方々を診断していました。

(マヤ暦は占いではないので鑑定という言葉は使いません)

 

これも、私が持つ”紋章”と”音”で、「楽しいことの、のめり込みと没頭」なのでしょうか。

今後も勉強を続けて、目の前に人を勇気づけたり、背中を押せる存在になりたいと思っています。

- いつも満席のmyダイアリー作成会風景 -

 

今度は、母親の認知症が発覚

この問題は、まだまだ先だと思っていたんですが、こんなに早くにやってくるとは思ってもいませんでした。

突然、なんの前触れもなくやってくるんです、認知症って。

 

母とは、私が病気療養中に、随分と一緒にいることが多かったんです。

脚も不自由になってきていましたので、私と一緒に、親戚の接骨院へ治療のために通っていました。

 

しかし、突然おかしなことを言い始めたんです。

私も、私以外の家族も、「認知症」という目で母を見てはいませんでしたので、当たり前ですが、言っていることを真面目に聞いていたんです。

 

様子がおかしいことに気づき始めて、幸いにも、私が毎月病後の診察に通っていた神経内科の主治医に診てもらえることになりました。

「認知症の初期段階ですね」と言われました。

 

「認知症は治らないのでしょうか?」まだまだ先と思っていた私の口から出た質問でした。

「はい、完治は無理です。これからは、進行を遅らせるためのお薬を飲んでもらうしかありません。と言われた時、先が真っ暗になりました。

 

精神的にもだいぶ落ちてしまい、泣きながら私の話が通じない母と話したこともありました。

母は実家の要でしたので、「完治はしない」という受け入れ難い現実とどう向き合えばいいのか、この時は答えが見つかりませんでした。

 

救われたのは、発見が早かったことでした。

進行も緩やかですので、側からみたら全く分からないんです。

 

今は、父の助けを借りながら、母は元気に過ごしています。

脚が不自由な母が少しでも快適に暮らせるようにリフォームもし、家の中と外に手摺りを付けました。

 

一番は、父が母のお世話を頑張ってくれていることに、頭が上がりません。

夫にも協力をしてもらい、今は家族みんなで母を支えています。

 

両親には、まだまだ長生きをしてほしいと思っているので、私も病気になったからと言って弱音を吐いている場合じゃないと、自分を鼓舞して前を向いて進んでいます。

私の願いは、いつの日か来るであろう両親をあの世へ送り出す瞬間に「あぁ、私の人生楽しかった」と思ってもらうことです。

 

それが、私の最後の親孝行だと思っています。

 

有名な方の書籍、地元紙、全国版の雑誌に掲載

- ご掲載いただき感謝です -

辛いことがあると、嬉しいこともあります。

  • 山口朋子さん著書「オンライン起業の教科書」(マヤ暦)
  • 雑誌「HERS 2022夏号」(マヤ暦)
  • 地元紙(生き方)
  • ビジネス雑誌「新時代ヒットの予感」2023年(不動産投資)
  • 起業家の友人や不動産投資家からのお誘いで「フェイスブックLIVEへの出演」(不動産投資)

有名な方の著書や、雑誌、LIVEへのご招待といった経験もさせていただきました。

人生、悪いことばかりじゃありませんね。

 

人生のブレイクタイム☕️

今まで、仕事と家事や子育てをやってきて病気も経験することになって、「”人生の休憩時間”があっても良いのではないのか」と思いはじめました。

休み方も人それぞれで、ゆっくり旅を楽しみながら自分を見つめ直したり、思い切って海外に留学をしたり、家族のために美味しいご飯作りに一生懸命になったり、「自分が居心地がよくワクワクする時間を持つこと」が、人生の中では必要なのではないかと思います。

 

私の場合は、”横断性脊髄炎”という病気にかかったことがきっかけで、今までの自分を振り返る時間を持つことができ、これからの人生について考えることができました。

この「人生の休憩時間(人生のブレイクタイム)」中に、自分の経験が他の人にも役に立つかもしれないという思いも込めて、このブログのタイトルを付けました。

 

これからも地味に続けていき、私が生きた証として残していきたいと思っています。

そして、今まで支えてくれた夫、娘、息子、両親、友人や仲間の応援や励ましに感謝し、元気でいることを伝えていければと思います。

 

それが、私自身も前に進む励みになると思ってます。

人生はバイオリズムのように、山あり谷ありです。

 

そして、どこでどうなるのか分かりませんからね。

私が高校時代に教えていただいた「一瞬即永遠」を忘れずに。

 

このブログを読んで下さった方を、少でも勇気付けることができ、私の経験がお役に立てますように。

 

 

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