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ー 50歳からの心と暮らしの整え方 ー 成瀬汐里のブログ

初めての2月2日の節分 豆まきと恵方巻きを今年は賑やかに楽しめました

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成瀬汐里(ゆうりん)1969年生まれ。50代からの心と暮らしの整え方研究家。ファイナンシャルプランナー、インテリアコーディネーター、マヤ暦アドバイザー。元お金系認定講師。東京と地方の二拠点生活。30年間住宅関係の仕事と家事と子育てを両立しながら、家族のお弁当も毎日作り続けて管理職も経験。子供が大学を卒業し社会人になったのを機にサラリーマンを卒業。自分のやりたいことを始めた矢先の50歳に原因不明の腹部の痛みに襲われ発病からわずか10日間で歩行困難に。「脊髄炎」と診断。 退院後1年半の病気療養とリハビリを経て、現在は日常生活ができるまで克服。病気になる前は大きな病気もせずに丈夫な体だけが取り得だと過信していた。病気療養という「人生の休憩時間」を持てたことで、自分の人生、健康、家族についてじっくり考える機会に。30年間の会社員生活を通しての経験、子育てや家事との両立、40代後半に入ってから仕事と投資の学校との両立での学び、1年半の病気療養生活から分かった日常の大切さや"あたりまえ"の愛おしさをブログで発信。自身がアドバイザーでもあるマヤ暦のことも時々発信している。 マヤ暦KINナンバー:K91 青い猿/青い嵐/音13 ガイド: 青い鷲
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今朝もとても寒い朝です。

雪もチラついていて、一年のうちで2月が一番寒いと言う理由が分かる気がします。

今朝の我が家の駐車場は、一面真っ白な雪に覆われていて、絵を描く前のキャンバスのようでした。

昨日は2月2日の節分でした

昨日は節分でした。

124年ぶりの2月2日の節分だったとか・・

次は2025年だそうです。

その次も2029年だそうで、うるう年のよく年の節分は2月2日になると、インターネットに書いてありました。

 

今後の節分は4年毎に変わるんですね。

「なぜ今までは変わらなかったのかなぁ」

と考えてしまいましたが・・。

 

私の小さかった頃の節分は

私が小さかった頃に実家でやっていた豆まきは、大豆を炒って大きめの枡に入れて、父が神棚にろうそくをたてて手を合わせて

から、家中の開いている窓から外に向かって「鬼は外! 福は内!」と言いながら豆をまきました。

まいた後は家族みんなで、歳の数分を拾って食べました。

当時は、まだ子供だったので、炒った大豆が硬くてあまり美味しくなかったので嫌いでした。

今でも、実家では当時と変わらないかたちで、豆まきをやっています。

 

我が家も昨日は豆まき(落花生)をしました。

しかし、飼っている愛犬のレイちゃんが、落ちている落花生をたくさん口に咥えて逃げまわってしまうので、夫がまいた先から歳の数は無視して私は必死に拾うという、手に持った落花生を見てなんだか急に歳を取った気分になり、なんとも忙しい豆まきでした。(笑)

 

恵方巻って小さかった頃はなかったな・・

私が小さかった頃は、「恵方巻」を食べる風習はなかったです。

いつからか食べるようになって、今では当たり前のように食べています。

 

気がつくと一年の行事には、新しいことが結構加えられていますよね。

私は、時代の流れに添って、新しい行事を楽しんでます。

 

なので、昨夜は我が家でも恵方巻を食べました。

しかし私がスーパーで買ってきた分と、何故か夫も仕事の帰りに買ってきた分を含めると、我が家のキッチンには、3本の恵方巻が並んでしまいました。

さすがに食べきれないので、夫が買ってきた海苔をを直に巻いていない「海老カツタルタル」とやらの恵方巻は残し、他の恵方巻を切って食べました。

かぶりつくのが正当食べ方なんでしょうが、1本丸ごとかぶりつくのはちょっと・・(笑)

 

恵方巻って海鮮系のものだけと思いきや、夫が買ってきた「海老カツタルタル」を見て、「こういうのも恵方巻で売っているんだ!」と関心させられました。(笑)

なんでも有りです。(笑)

 

そういえば、昨年は入院中だったので、「病院の売店で売っていた恵方巻を買って、仕事帰りにお見舞いにきてくれた夫と一緒に一口だけ食べたっけ・・」と思い出していました。

 

昨夜は、新しく家族に加わったレイちゃんと賑やかに過ごせて、節分と恵方巻を楽しむことができました。

感謝です。

 

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成瀬汐里(ゆうりん)1969年生まれ。50代からの心と暮らしの整え方研究家。ファイナンシャルプランナー、インテリアコーディネーター、マヤ暦アドバイザー。元お金系認定講師。東京と地方の二拠点生活。30年間住宅関係の仕事と家事と子育てを両立しながら、家族のお弁当も毎日作り続けて管理職も経験。子供が大学を卒業し社会人になったのを機にサラリーマンを卒業。自分のやりたいことを始めた矢先の50歳に原因不明の腹部の痛みに襲われ発病からわずか10日間で歩行困難に。「脊髄炎」と診断。 退院後1年半の病気療養とリハビリを経て、現在は日常生活ができるまで克服。病気になる前は大きな病気もせずに丈夫な体だけが取り得だと過信していた。病気療養という「人生の休憩時間」を持てたことで、自分の人生、健康、家族についてじっくり考える機会に。30年間の会社員生活を通しての経験、子育てや家事との両立、40代後半に入ってから仕事と投資の学校との両立での学び、1年半の病気療養生活から分かった日常の大切さや"あたりまえ"の愛おしさをブログで発信。自身がアドバイザーでもあるマヤ暦のことも時々発信している。 マヤ暦KINナンバー:K91 青い猿/青い嵐/音13 ガイド: 青い鷲
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