【脊髄炎症状⑥】痛みの原因を神経系の総合病院で特定!検査を2日かけて行う
私は今まで大きな病気をしたことがない、丈夫なだけが取り柄で50年間生きてきました。
しかし、2020年1月に突然「脊髄炎」という、それまでに聞いたことがない病気を発症し、突然右の脇腹が痛み出して、日を追うごとにその痛みは強くなり、歩くことも困難になりました。
痛みを感じるようになってから、わずか10日間の出来事でした。
この闘病記は、私がかかってしまった「脊髄炎」が、どのように進行して完治に近い状態までに回復した闘病生活を、お伝えしたいと思います。
※ 脊髄炎を発症するまでの生活を簡単にまとめていますので私の「プロフィール」をご覧ください。
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私のプロフィール
そして、今後は下記の内容を、段階を踏まえて詳しくお伝えしていきたいと思います。
- 病気が発症するまでの今だから生活や思い当たる体のサイン
- 原因が分からないまま病名がわかるまでの10日間で、どのように進行していったか
- 入院してからの治療生活
- 退院後の生活
- メンタルの浮き沈み
- 更年期障害や坐骨神経痛の併発
これまでの症状の進行については、こちらをご覧ください。
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【脊髄炎症状⑤】腹部の強い痛みで救急車で搬送!検査結果は異常なしで夜中に帰宅
今回のこちらの記事では、主に下記の内容についてお伝えしたいと思います。
- 帰宅後の夜、痛みで眠れずにソファーで座ったまま朝を迎える
- 地元の神経系の大きな病院で診察
- 2日間に渡って検査を実地
- 原因と病名を発見
私のような病気にかかってしまった方や、そのご家族の方に参考になれば幸いです。
目次
帰宅後の夜、痛みで眠れずにソファーで座ったまま朝を迎える
● 2020年1月19日(日)
地方の自宅に戻ったのは、夕方6時を過ぎていました。
夫があり合わせのもので、おかずとお粥を作ってくれました。
お粥を、ご飯茶碗一膳分だけを食べた後に、救急車で搬送された病院で出ていた痛み止めの薬を、1粒ずつゆっくり口の中で溶かしながら、4粒飲みました。
お風呂に入った後、2階にある寝室に上がることは難しい状態だったので、1階の和室に布団を敷いてもらって休みました。
この日の夜中は、痛みが今までよりも強くなっていることを感じていました。
そしていつものように、尿意を感じて夜中に目が覚めたのですが、体が痛くて起き上がることが出来ませんでした。
あまりの痛みで起き上がることも、寝返りを打つこともできなかったので、2階に寝ている夫を自分の携帯電話から家の電話に電話をして起こし(夫は自分の携帯電話をマナーモードにしているので)、体を起こしてもらいトイレまで付き添ってもらいました。
夫は、私の隣に自分の布団を敷いて寝てくれましたが、横になると痛みで眠ることが出来ないので、リビングのソファーに座り毛布に包まりながら朝を迎えました。
地元の神経系の大きな病院で先ずは内科で診察を受ける
● 2020年1月20日(月)
朝食にお粥を食べてから、痛み止めの薬を4粒飲んだ後直ぐに病院へ向かいました。
朝7時過ぎに病院へ到着しましたが、受付開始は朝7時半からでしたので、車の中で少し待っていました。
受付を待つ他の患者さんがどんどん増えてきたので、夫が病院から借りてきた車椅子に乗って受付の順番を待ちました。
受付の時間が開始し、初診患者の私の順番は3番目でしたので、そんなに待たずに自分の順番になり、受付の窓口で簡単な問診を受けました。
私はこの時に、「また受付をしてもらえなかったらどうしよう」と不安になり、他の病院で診てもらっていたことは伝えませんでした。
もうここで診てもらえなかったら、他にどうしたらいいか考えが浮かばなかったからです。
受付の女性の方は優しく「お腹周りの痛みですので内科でしょうかね。脚の症状は神経系だと思われるので、神経内科でも診てもらいましょう。」と言った後に、その後の診察の流れの説明をしてくれました。
午前9時半頃に内科で自分の名前が呼ばれました。
診察を受けている時に、先生の方から「健康診断などで、再検査の結果が出たことはありますか?」と聞かれました。
再検査になったところを、再度検査を受けた時に、異常がなかったことを思い出せる範囲で伝えました。
以前、肝臓に小さな結石があったのが見つかったことがあり、そのことも伝えたところ、「その結石が原因かもしれないですね」と先生は言いました。
「今まで痛みはなかったですが、それが痛みの原因なんですか?」
と私は先生へ質問しました。
「そうですね、今までは痛みはなかったのかもしれません。それでは、結石を溶かす薬を出しますね。」
と先生から言われ、静かに夫が押してくれる車椅子に乗って診察室を出ました。
この時は、夫も私も「結石が、この胴回りに広がっている痛みの一番の原因なのかな・・」というのが、正直が本音でした。
神経内科で診察。ようやく考えられる病気の原因が判明
それからしばらくの間、夫と待合室で待っていました。
朝も早かったので、夫が売店でおにぎりとお茶を買ってきてくれました。
あまり食欲もなかったので、おにぎりを一口だけ食べてお茶を飲んで待っていました。
お昼近くになって、ようやく自分の名前が呼ばれ、夫が押してくれる車椅子で診察室の中へ入って行きました。
30代くらいのハキハキした先生が、「こんにちは、今日はどうしましたか?」と爽やかに質問をしてきました。
私は静かに「はい、10日程前から右腹部が痛み出して・・」と、今までのことを詳しく話しました。
そして話しの途中で私は、「先生、すみません。実は東京のいくつかの病院で診てもらっていていました。しかし、断られた病院もいくつかあって、痛みは強くなる一方でしたので、こちらの病院で詳しく診てもらいたくて、今朝受付の時に「診てもらうのは初めてです」と言ってしまいました。」と伝えました。
先生は「なるほど、なるほど、そうでしたか」と口に出しながら、私の話しを聞き逃さないように、テンポよくパソコンに入力していました。
一通り私からの話しが終わり、後に続くように先生のパソコンへの入力も終わりました。
すると、机の上にあったペンを持ち、私に向かって「この先の部分を目で追ってください」と言いながら、ペンを左右上下に動かしました。
その後に、手の動きを確認したり、お腹と背中を触診しました。
次に「脚を見せてください」と言われ、履いていたガウチョパンツを膝の上まで捲り上げました。
中にスパッツを履いていましたので「これは脱いだ方がいいですか?」と聞くと「そのままで大丈夫ですよ」と先生は答えました。
膝を柔らかいゴムのハンマーで叩きながら「他に何か気になることはありましたか?」と質問されたので、「去年の始めから1年間の間、耳の調子が悪くて通院していましたが、なかなかよくなりませんでした」と話しました。
先生は、私の方に顔を向けて「おっ、そうですか。」と言いました。
そして一通りの確認が終わると、私と夫は先生の話しを聞く体勢を取りました。
先生の口からは、
「たぶん『脊髄炎』ですね。私の今まで診てきた患者さんから判断すると、ほぼ間違いないと思います。耳鼻科にも通われていたんですのであれば、それも原因の一つとも言われています。」
という言葉が出てきました。
私も夫も「脊髄炎ですか?」と返しました。
私も夫も初めて耳にした病名でした。
その後に続けて先生の口からは、
「胴回りは相当痛かったですよね。よく今まで我慢してましたね。」
という言葉をかけていただき、心の中で「ようやく原因がわかったんだ・・。よかった。」と思いながら「ありがとうございます」と先生にお礼の言葉を伝え、込み上げてくるものを押さえることが出来ませんでした。
この時、やっと光が見えたような気持ちと、本当に有り難くて嬉しかった感動は、今でも忘れることが出来ません。
その後、先生から「直ぐに検査をしましょう!」と言われました。
そして午後から早速検査に入りました。
2日間に渡って検査を実地
この日の午後は脊髄のMRI検査を行いました。
生まれて初めてのMRI検査で緊張しました。
時間的には、40分くらいだったと思います。
ベットに横になって、大きな検査医療機器の中に耳栓をして入りました。
閉所恐怖症の人には少し怖さを感じると思いますが、この検査は体の詳細がある程度画像で見ることができるので、今体の中がどのような状態(私の場合は脊髄)か、はっきり分かります。
実際、私の脊髄の状態をはっきりと確認することが出来ました。
● 2020年1月21日(火)
次の日も、MRI検査と髄液検査、血液検査を1日かけて行いました。
この日は朝9時から検査を行い、先ずは血液検査を行いました。
それまで、東京でかかった病院を含め、短期間で採血や点滴を行っていたので、両腕の肘の内側は真っ青になっていて、この時は採血ができる状態ではありませんでした。
看護師さんも、採血をするのに困ってしまい、手首付近にある血管から血を採取することにしました。
試験管2〜3本ほどの量を取ったと思います。
次に行った髄液検査は、髄液を取る専門の先生が髄液を採取しました。
ベットで、くの字に丸くなって横になり、腰の部分に局所麻酔を行い、注射器で髄液を採取します。
痛いと聞いてはいましたが、確かに痛かったです。
私の場合は、なかなか麻酔が効かなかったので、麻酔も追加で量を増やしました。
注射の針が太いせいか、刺した時に痛みが走り、なかなかうまくいかなかったので、途中からはある程度の痛みは我慢をして、早く終わってくれるように心の中で祈っていました。
それが終わると今度は頭のMRI検査を、前の日と同じようなかたちで行いました。
この日は造影剤を投与して検査を行ったので、朝から何も食べずに行いました。
前日と同じだったのでこの日はさほど苦痛を感じず、造影剤の影響もあるせいか、30分ほどの検査の間少し眠ることができました。
こうして全ての検査が終わったのが、午後2過ぎでした。
今だから思うこと・・
病気が発症してから、体の痛みはどんどん悪くなる一方で、温覚も鈍くなってきて、更に病名も分からない日が続き、暗闇の中を彷徨っているようでした。
「神経内科」という専門の先生の問診だけで、病名が特定できたことは「凄いな」と思ったと同時に、やはり今は細かく専門の「科」が別れているので、その筋の専門の「科」でないと見つけにくいのかと思いました。
体の痛みが始まってから原因が分かるまで13日間でしたが、進行はあっという間でした。
しかし、振り返ってみて思うことは、病院から出された薬を飲んでも痛みが治らない時は、様子をみずに次の日でも病院へ行くことをおすすめします。
この病気は、進行が早い人は私よりも早いそうで、下半身麻痺に至るそうです。
こちらのサイトに詳しく書いてありますので、参考にしてみてください。
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横断性脊髄炎 / Transverse Myelitis
*クリストファー&ダナリーブ財団サイトより
私のこの闘病記を読まれた方で、同じような症状だと感じた場合は直ぐに、設備の整った「神経系」の大きな病院で診てもらってください。
そして、早期発見、早期治療を行うことで、病気の回復や後遺症が全く違ってきます。
この闘病記が、早期発見、早期治療の参考になれば、とても嬉しく思います。
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【脊髄炎症状⑦】病気を神経系の総合病院で発見!やっと痛みの原因が分かった