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ー 50歳からの心と暮らしの整え方 ー 成瀬汐里のブログ

プロフィール

はじめまして。「人生のブレイクタイム」管理者・成瀬汐里 です。

このブログをご覧いただき、ありがとうございます。

こちらのページでは、私のプロフィールを紹介させていただきます。

 

プロフィール

■ ブログ管理者:成瀬汐里(なるせゆうり)

■ ニックネーム:ゆうりん

■ 1969年生まれ

■ 都会と地方の二拠点生活

■ 趣味:読書、旅行、映画鑑賞、グルメ、ドライブ

■ マヤ暦キンナンバー:K91  青い猿/青い嵐/音13  ガイド: 青い鷲

 

私は「横断性脊髄炎」という病気を発症し、現在は自宅療養中です。

おかげさまで今では、日常の生活も家族の介添えが必要のない普段の生活が出来るまでに回復しました。

病院へ通う回数も主治医と相談した末コロナの影響も考えて月2回程度にし、その時に理学療法士の指導の元、リハビリも行っています。

それ以外の普段の生活は、毎日家事をしながら自主的にストレッチやウォーキングをしたり、本を読んだり自宅で簡単な仕事をしながらブログを書いています。

 

私の履歴書

仕事、家事、子育てに奮闘していた日々

私は東北の田舎で育ち、高校を卒業後に学生生活を東京で過ごしましたが、就職のために地元に戻りました。
その後結婚をして、現在は、夫、子供2人の4人家族で、その他に愛犬を1匹飼っています。

私は、子供達が小さい頃から家事と仕事を両立してきました。
そして、結婚した時から家族分のお弁当を作り続けてきました。
私が休みの日以外は、なかなか家族が揃ってご飯を食べることができませんでしたので、お弁当だけは家族に持たせたいという思いで作ってきました。

中身は、定番の卵焼きやウインナー、前の晩に多めに作ったおかずや、休みの日に一週間分作って常備しておくおかずなどでしたので、「キャラ弁」のようなキラキラしたお弁当ではなく、地味ではありましたが基本の3色を意識して作っていました。

 

そんな忙しい母親が当たり前といった環境の中、子供達は優しく元気に育ってくれました。
有難いです。

今では二人の子供達は大きくなり、無事に社会人になりました。

 

夫を地方に残し、大学進学の息子と一緒に東京で生活を開始

6年前に夫の後押しもあり、私は東京の会社で仕事をするために大学進学が重なった下の子と今まで暮らしてきた地方に夫を残して、東京で二人暮らしを始めました。

当時、上の子は別の地方の大学に通っていて一人暮らしをしていましたので、我が家は3拠点の生活を開始することになりました。
子供が2人共大学生でしたので、お金が一番かかる時期でした。

上の子への仕送りと東京での生活と地方に住む夫の生活費、住宅ローンの返済で、夫と私の収入は湯水のように消えていきました。
子供達2人共私立の大学でしたので、家計への負担はとても大きなものでした。
「子供に手がかからなくなると、今度はお金がかかる」とはよく言ったものです。まさにその通りでした。

 

慣れない東京での生活と仕事との両立に、毎日必死でした。
毎日の通勤時間に往復2時間、朝の通勤ラッシュで気分が悪くなり、途中で降りて休むこともありました。

家に帰ってくる時間も平均夜の9時を過ぎていて、それからご飯の準備をすると10時くらいから子供と食事を始めます。
仕事で疲れていると、後片付けを子供に任せて、そのまま化粧も落とさず寝てしまうこともありました。

しかし、やりがいのある仕事でもありましたし、上司や同僚にも恵まれていたので毎日充実していました。
たまには、会社帰りに同僚と美味しい食事を食べに行ったり、時々上司には自分では行けないようなお店に連れていってもらいご馳走になったり、お酒を酌み交わしながら仕事について話をしました。
地方だと車社会ですのでなかなかお酒を飲みに行く機会もなく、仕事中にサクッとその日の帰りに約束ができることも新鮮でした。

 

東京での生活にも慣れはじめた1年を過ぎた頃、いつものように新橋の駅を降りて虎ノ門ヒルズ方面に在る会社に向かう途中、一斉に同じ方向へ向かうビジネスマンの中に紛れながら、背後から朝陽に照らされた長く伸びた自分の影を踏みながら、地方で忙しく管理職の仕事をしていた45歳の時に呟いた言葉を思い出しました。

15年前は30歳」 15年後は60歳」

「15年ってあっという間なんだな。このまま15年あっという間に過ぎてしまうんだろうな・・」

ふと思いました。
と同時に、「このままでいいのかな・・」 何となく心の中で呟いていました。

 

不動産投資との出会い

それから毎日の往復2時間の通勤時間に、45歳の時に呟いた言葉が思い出され、「このままだと何も変わらない。自分で変えていかなきゃ! 1年後も2年後も、同じようなことを思っていたくない!」という気持ちが日に日に強くなっていきました。

「考えているだけではダメだ!行動に移さなくちゃ!」と考え、今の仕事の他に「何があるのか、何が自分に合っているのか」を探すために、余計な残業は一切やらずに、会社帰りと土日は手当たりしだい気になったセミナーへ参加しました。

2ヶ月間、いろんなセミナーへ参加した中で、「株式投資」と「不動産投資」をやってみようと思いました。
そして、株式投資、不動産投資の勉強をするために、平日の夜週2回と毎週土曜日は学校に通い始めました。

 

株式投資は、以前自己流でやって失敗したことがありましたので、ちゃんと勉強をする良い機会でした。
しかし、学校で教わったように慎重に投資を行いましたが、以前の失敗がどうしても蘇ってしまい、値動きが気になり仕事に集中出来ないのです。
結果もマイナスにはならないものの、気が休まらない毎日だったので、自分には合わないと判断しました。

 

不動産投資は、建築関係の仕事をしていたので共通するところもあり、楽しいと感じながら勉強をすることができました。
結果、自分には不動産投資のほうが合っていると判断しました。
勉強を始めてから2年目に、ようやく築古のアパートを1棟買うことができました。

 

アパートを購入してから半年が過ぎた頃に、夫に購入したことを伝えました。
事後報告ですね。

夫は、何をするにしても先ず反対をします。
家族旅行、家電の購入、息子の短期留学などもそうですね。

更に「石橋を叩いて叩いて渡らないタイプ」ですので、大きな買い物である不動産購入をすることなど、到底理解不能な状況になることが目に見えています。
なので、相談しても反対するのは分かっていましたので、いちいち相談はしませんでした。

しかし、万が一私が突然死んでしまったら、「アパート?何のこと⁉︎」となってしまい、夫に迷惑をかけてしまうだろうと思い打ち明けました。(子供達には購入直後に打ち明けていましたが。笑)

当然夫は驚きましたが、「お前の中で完結できるのであれば」と言ってくれ(そう言うしかないですよね)、その後は時々「アパートの方はどう?満室になってるの?」と気にかけてくれるようになりました。

 

私にとって不動産を持ったこともそうですが、投資の勉強がきっかけで投資家の方々やスキルの高い仲間に出逢えたことは、何よりも素晴らしい財産だと今も感じています。

 

50歳でサラリーマンを卒業

ちょうど50歳を迎えた時に、サラリーマンを卒業したい気持ちで不動産投資の勉強を始めてから3年が経っていました。

不動産投資で安心した生活を送れる収入ではありませんでしたが、他に協会に所属をしてセミナー講師も始めていました。

既に住宅ローンも完済し、私と一緒に上京した下の子が社会人になりました。
上の子も既に社会人になっていましたので、親の責任は一応は果たせたという安堵の気持ちが芽生え、なんだか少し気持ちが楽になりました。

 

結婚した時から日常となっていた朝食の準備と家族分のお弁当を作りから一日が始まり、通勤時間に毎日往復2時間を費やし、帰ってから物件の検索や自分が開催するセミナーの準備、土日は平日の食材の買い出しと常備食作り、不動産投資の学校で勉強をし自身のセミナーの開催、時間があれば物件を見に行っていましたので、体を休める時間はほとんどありませんでした。

「もっと時間が欲しい」と考えるようになりました。

住宅ローンや子供の教育費もかからなくなったので、会社を辞めたいと思う気持ちが日に日に強くなり、夫や子供達に相談をしました。
思いの外、家族からも理解を得ることができました。
当時は平均睡眠時間が4時間でしたので、それまで忙しくしてきた私の生活を見てきた家族が、体の心配をしてくれたのだと思います。
「自分のやりたいように頑張って」という家族からの有難い応援の言葉をもらい、ようやくサラリーマンを卒業しました。

 

横断性脊髄炎を発症

サラリーマンを卒業して7カ月後の2020年1月に、私は「横断性脊髄炎」という病気を発症しました。

協会に所属して素晴らしい仲間にも恵まれ、同期の仲間と初めてセミナーを共同開催して満員となり、無事に約3ヶ月間の本セミナーを終わらせて、好調なスタートを切った矢先でした。

 

病気は東京の病院では見つけることができず、地方の自宅の近くにある大きな脳神経外科で発見してもらいました。

発症からわずか10日で、病状は歩行困難(本人痛みで自覚なし)にまで進行しました。
進行が早かったので、あと1週間発見が遅れていたら歩行困難か大きな障害が残っていたかもしれないと聞かされた時には、とても驚きました。
今も若干の後遺症はありますが、まだこの程度で良かったと思うようにしています。

 

入院中、現実を知っていく中で、「歩行困難になれば家族の助け無しでは生活できないの? そんなの嫌だな・・」を毎日頭の中でループしながら、丈夫な体だけが取り柄だった私は、あっという間に起こったこの現実をなかなか受け止められませんでした。

「もしこのまま歩けなくなったら・・」 いや 「死んでしまったら・・」と考えた時に、「あれもやりたかった」「これは家族に伝えておかなければ」など、いろんなことが浮かんできました。

おかげさまで今は、日常の生活も家族の介添えが必要のない普段の生活が出来るまでに回復しました。

諦めずにやれるだけやってみよう

このブログを書いている時も脚がしびれてきて集中できない時もありますが、そんな時は気を紛らすために大きな声で歌を歌ったりしながら書いています。もちろん家族が出かけているときや2階で寝ている時ではありますが。笑

「家族に迷惑をかけずに一人で生活ができるようになりたい」その一心でリハビリを頑張って、普通に生活ができるまでに回復することができました。

これからも後遺症を治す為にリハビリを続けますが、諦めずにやるだけやっていこうと思います。
そして、自分がやってみたかったことを元気でいる限り実行していこうと思います。

 

人生のブレイクタイム

今まで、仕事と家事や子育てをやってきて病気も経験し、「人生の休憩時間」があっても良いのではないのかと思いはじめました。

休み方も人それぞれで、ゆっくり旅を楽しみながら自分を見つめ直したり、思い切って海外に留学をしたり、家族のために美味しいご飯作りに一生懸命になったり、「自分が居心地がよくワクワクする時間を持つこと」が、人生の中では必要なのではないかと思います。

私の場合は、横断性脊髄炎という病気にかかったことがきっかけで、今までの自分を振り返りこれからの人生について考える時間を持つことができました。
そんな思いから、このブログのタイトルを名付けました。

今まで支えてくれた夫、娘、息子、両親、友人や仲間の応援や励ましに感謝し、元気でいることを伝えていければと思います。そして、私自身も前に進む励みになればと思ってます。

このブログを読んで下さった方に少でも勇気付けることができ、お役に立てれば嬉しいです。

 

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