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ー 50歳からの心と暮らしの整え方 ー 成瀬汐里のブログ

【脊髄炎症状⑤】腹部の強い痛みで救急車で搬送!検査結果は異常なしで夜中に帰宅

ゆうりん
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ゆうりん
成瀬汐里(ゆうりん)・1969年生まれ。50歳からの心と暮らしの整え方研究家。東京と地方の二拠点生活。ライフアドバイザー、マヤ暦ライフ研究家。30年間住宅関係の仕事と家事と子育てを両立しながら、家族のお弁当も毎日作り続けて管理職も経験。子育ても終わりサラリーマンを卒業し自分のやりたいことを始めた矢先の50歳に脊髄炎を発症。リハビリに励み、現在は日常生活ができるまでに克服。病気療養という「人生の休憩時間」を持てたことで、自分の人生や健康や家族についてじっくり考え「ゆっくり丁寧に毎日を過ごそう」と決意し、日常のことやマヤ暦のことをブログで発信している。 K91 青い猿/青い嵐/音13 ガイド: 青い鷲
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私は今まで大きな病気をしたことがない、丈夫なだけが取り柄で50年間生きてきました。

しかし、2020年1月に突然「脊髄炎」という、それまでに聞いたことがない病気を発症し、突然右の脇腹が痛み出して、日を追うごとにその痛みは強くなり、歩くことも困難になりました。

痛みを感じるようになってから、わずか10日間の出来事でした。

 

この闘病記は、私がかかってしまった「脊髄炎」が、どのように進行して完治に近い状態までに回復した闘病生活を、お伝えしたいと思います。

 

※ 脊髄炎を発症するまでの生活を簡単にまとめていますので私の「プロフィール」をご覧ください。

私のプロフィール

 

そして、今後は下記の内容を、段階を踏まえて詳しくお伝えしていきたいと思います。

  1. 病気が発症するまでの今だから生活や思い当たる体のサイン
  2. 原因が分からないまま病名がわかるまでの10日間で、どのように進行していったか
  3. 入院してからの治療生活
  4. 退院後の生活
  5. メンタルの浮き沈み
  6. 更年期障害や坐骨神経痛の併発

 

これまでの症状の進行については、こちらをご覧ください。

【脊髄炎症状④】痛みが強くなり歩行困難に!だが受付で診察を断られてしまった

 

今回のこちらの記事では、主に下記の内容についてお伝えしたいと思います。

  • 救急車で搬送されるも検査結果は異常なしで夜中に帰宅
  • 病院での痛み止めの点滴や処方された強い薬も効かない
  • 決断

 

私のような病気にかかってしまった方や、そのご家族の方に参考になれば幸いです。

息子とのランチに癒される

● 2020年1月18日(土)

自宅の最寄りの駅に着いてから自宅へ向かおうとしましたが、ちょうどお昼時でもありましたし、息子は午後から出かける予定もあったので、駅なかのお店でランチをすることにしました。

息子からは心配そうに「早く帰って横にならなくて大丈夫なの?」と言われましたが、雪が降る寒い中を付き添ってくれた感謝の気持ちもあったので「大丈夫。」と答えて、お店の中に入りました。

 

パスタランチを注文し、セットに付いているスープを飲みながら、静かに待ちました。

この時は、久しぶりの食事でした。

自宅では、お粥やヨーグルトなどを病院から処方されている薬を飲むために、少しだけ食べている状態でした。

運ばれてきたパスタを小皿に取り分けて、息子とシェアし、久しぶりに食事を美味しいと思いながら食べることができました。

 

食事が終わった後にお店を出てから、ゆっくりと歩き出し、息子に手を引いてもらいながら自宅へ帰りました。

 

痛みで横になって寝ることができない

自宅へ着いてから着替えをして、病院から出されている痛み止めの薬を飲んでベットで横になりました。

息子はそのまま出かけていき、娘が仕事から帰ってきました。

私はベットで横になったまま、20分くらい眠ることができました。

 

しかし、痛みは腹部全体と背中にまで広がっていたので、横になる身体のどの部分にもマットレスが触ってしまい、どう寝返りをうっても痛みですぐに目が覚めてしまう状態でした。

この時は一度横になると、起き上がるのにも何気に腹筋を使っているので、壁やベットの支柱に捕まらないと身体を起こせない状態でした。

 

横になっていることもできないので、起き上がってからゆっくりとリビングの椅子に座り、昼食をとっていた娘と会話をしながらテレビを観ました。

娘も心配そうに、「横にならなくていいの?」と言ってくれましたが、「身体が痛くて、横になっても直ぐに目が覚めてしまうんだよね」と答えました。

この時は既に、痛みで椅子の背もたれに身体を付けられない状態でした。

娘はそんな姿を見て、「救急車を呼んだら?」と言いましたが、私は「こんなことで呼べないよ」と返しました。

娘は食事を済ませた後に「部屋で休むね、何かあったら声かけてね」と言って自分の部屋にいきました。

「ありがとう」と言って、私はリビングに居そのまま残り、テレビを付けたままボーッとした時間を2~3時間ほど過ごしていました。

 

救急車の中で、最初の病院から受け入れを断られる

夕方になって、医療に携わっている友達が、心配をして連絡をくれました。

他の病院で診察を断られてしまったことを話し、休み明けの月曜日に、今まで行っていた病院へ行こうと思っていると話しました。

私の声に元気もなく、現在の症状を電話の向こうから察知して「もうダメだよ!救急車を呼びな!」と、強い口調で話す声が、拡声機能を使って話していたので、部屋中に広がりました。

すると、娘がその話しを聞いていて、私の携帯電話に向かって「そうですよね!やっぱりそう思いますよね!」と、私の友達へ話しかけていました。

友達も「そうだよ!もうダメだよその状態では! あーちゃん救急車を今すぐ呼んで!」と娘に返していました。

娘は直ぐに、救急車を呼ぶために、自分の携帯電話から電話をしていました。

 

それからのことは、あまり覚えておらず、気付いたら救急隊員の方々に質問をされながら、ストレッチャーで運ばれていました。

 

救急隊の人に、救急車の中で、今までの経緯を聞かれたあとに「かかっていた病院名を教えてください」と言われました。

私は病院名を答えながら、ストレッチャーの上で横になっていました。

一人の救急隊の人が、運転席で病院に問い合わせをしていましたが、どうやら受け入れを拒否されたようで、揉めているようでした。

しかし、病院の方から「受け入れはするけど診察だけはしますが、入院はできませんし、薬も出せません」と言われたらしく、私に「どうしますか?」と聞いてきました。

「それであれば、どこか別の病院はありませんか?」と言いました。

救急隊の人は、「そうしましょう」と言って、次の受け入れ先の病院を探しましたがなかなか見つかりませんでした。

 

救急車の中で、隣に座って付き添う娘と、不安になりながら受け入れてくれる病院を待ちました。

40分ほど経ってから受け入れてくれる病院が見つかり、サイレンがなり始めて直ぐに、救急車は動き始めました。

それから20分くらいで受け入れてくれる病院に到着し、直ぐに採血や諸々の検査が始まりました。

娘と救急隊の人が遠くの方で、搬送先の先生に今までの状況を話している姿を見ながら、目の前の看護師さんが「痛みだけでも治るといいですね」と私に話しかけて、点滴を打ってくれました。

「これで、ようやく私の身体の中で何が起こっているのか分かるんだ」と安心しました。

 

目を閉じていると、救急隊の人がまた別のところへ行かなければならないからと、挨拶にきてくれました。

私は「本当にありがとうございました」とお礼の言葉を伝えると、「これが私達の仕事ですから。それよりもお大事にされてください。」と言っていただき胸が熱くなりました。

娘にお見送りを頼んで、私はそのまま横になっていました。

戻ってきた娘の隣には息子の姿があり、出先から駆けつけてくれました。

 

搬送先の病院でも検査の結果は異常なし。そして痛み止めの点滴も効かない・・

それから3時間ほどが経ち、点滴も終わり先生からの検査の結果を伝えられました。

血液検査やCT検査の画像を見ながら、「どこにも異常はありませんね」と言われました。

私も子供達も耳を疑いました。

娘が「どこにも異常がないんですか⁉︎」と聞き返しました。

先生は「どこにもありませんね」とCT画像に顔を近づけながら答えました。

すると、「痛み止めの点滴をしましたが、痛みは楽になりましたか?」と聞かれましたが、「痛みはあまり変わりありません」と答えました。

「結構強い薬なんだけどね・・」と先生は答えた後に、「検査の結果に異常がないと、入院させることはできないんです。痛み止めの薬を出します。この薬は強いので、ずっと飲み続けることはおすすめできませんが、今日が土曜日なので明後日の月曜日までの分を出しておきます。月曜日になったら、今までかかっていた病院へ行ってしっかり診てもらってください。」と言われました。

 

熱も39度近くあり、点滴を打っても痛みが消えない状態で、こうして病院で診てもらっているのに原因が分からないとはどういうことなのか、全く理解ができませんでした。

 

帰り支度をしていると、先生は娘に「月曜日に行きつけの病院へ行ったら、『髄液検査をしてください』とお願いしてみてください」と娘に伝えていました。

病院からタクシーを呼び、夜の12時近くに病院を後にし、その日は自宅へ帰りました。

 

夜中に帰宅後も痛みで横になれない。リビングの椅子に座り「決断」をする。

● 2020年1月19日(日)

午前12時半近くに、自宅の前でタクシーを降りてから、子供達に手を引かれながら家の中に入りました。

着替えをしようと思いベットに座ってパジャマのズボンを履こうとしましたが、この時右脚には力が入らずに娘に手伝ってもらいながら着替えました。

病院で痛み止めの点滴を打ってから、そんなに時間は経っていませんでしたが、出された痛み止めの薬を直ぐに飲みました。

とても大きな粒で、1回で4粒を飲まなければならないので、1つずつ口に含んだ水で溶かしながら飲み込みました。

 

それから直ぐにベットで横になりましたが、身体の痛みに薬はなかなか効かず、痛みで眠ることができませんでした。

ようやく眠りに着いたのが、夜中の2時過ぎでした。

しかし、痛みと尿意を感じ、明け方の4時過ぎに目が覚めて、やっとの思いで身体を起こし、ベットから転げるように降りて、四つん這いになってリビングの電気を付けて、トイレに向かいました。

この時も、尿意は感じるものの、尿はほんの少ししか出ませんでした。

 

トイレを済ませた後に、壁や家具のあちこちに捕まりながら、リビングにある椅子に腰掛けてから、しばらくの間考えました。

そして、田舎の自宅近くにある大きな神経系に特化した病院で診てもらおうと「決断」しました。

その病院は、昔、私の母が半年間原因が分からない頭痛が続いたときに、その原因を見つけてくれた病院で、診察した当日に即入院をして手術をした病院でした。

おかげで今も母は元気で長生きしています。

 

「もうそこの病院で診てもらうしかない!」と思いました。

と同時に、「東京に住んでいてこんなに大きな病院がすぐそこにあるのに、診てもらえないいんだな」と、少し悲しくなりましたが、すぐに、「自分には田舎があって良かった!」と思い直しました。

 

椅子から立ち上がって娘の部屋へ行き、「あーちゃん、寝ているところ悪いんだけど、お父さんに電話して! 携帯ではなく家電にね! 明日迎えにきて欲しいと伝えて。」と、寝ている娘に言いました。

娘はうとうとしながら、「痛み取れないの? 分かった!」と言って電話をしてくれました。

 

その日の朝10時近くに、夫は東京の自宅に到着しました。

それから、必要な物だけをスーツケースに入れて、娘が玄関先で見送ってくれた後に、息子と夫と三人で東京の自宅を出ました。

新幹線のホームまで荷物を運んでくれた息子を残し、その日の夕方に新幹線で地方の自宅へ帰ってきました。

 

今思うこと・・

このブログを書いている「今」は、病気が発症してから、ちょうど1年になります。

こうして思い出しながら書いていて、「何かもっと方法はあったのかな」と考えますが、あの時はあの時なりに判断して、行動にも移していたとは思います。

そして、全てタイミングが悪かったな・・、と思ったりもします。

でも、過ぎてしまったことを考えても仕方がありません。

 

それでも、息子がずっと付き添ってくれたり、娘が救急車を呼んでくれてずっと付き添ってくれたこと、そして友人の電話がなければ、完全に手遅れになってしまい、今、どうなっていたかは想像もしたくありません。

 

このブログを書きながら改めて思うことは、忘れられない2020年1月18日ですが、娘、息子、電話をくれた友人と、迎えにきてくれた夫に、心から感謝をしたいと思います。

本当にありがとう。

 

次の記事

【脊髄炎症状⑥】痛みの原因を神経系の総合病院で特定!検査を2日かけて行う

 

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成瀬汐里(ゆうりん)・1969年生まれ。50歳からの心と暮らしの整え方研究家。東京と地方の二拠点生活。ライフアドバイザー、マヤ暦ライフ研究家。30年間住宅関係の仕事と家事と子育てを両立しながら、家族のお弁当も毎日作り続けて管理職も経験。子育ても終わりサラリーマンを卒業し自分のやりたいことを始めた矢先の50歳に脊髄炎を発症。リハビリに励み、現在は日常生活ができるまでに克服。病気療養という「人生の休憩時間」を持てたことで、自分の人生や健康や家族についてじっくり考え「ゆっくり丁寧に毎日を過ごそう」と決意し、日常のことやマヤ暦のことをブログで発信している。 K91 青い猿/青い嵐/音13 ガイド: 青い鷲
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