通院帰りの母との時間は親孝行でもある笑いの絶えない大切な時間
この記事を書いている人 - WRITER -
成瀬汐里(なるせゆうり)1969年生まれ。ライフシフトクリエイター|30年間住宅業界に従事し管理職を経験。家事や子育ても両立しながら家族のお弁当を27年間作り続け2019年起業。しかし半年後に腹部に痛みが出始め僅か10日間で歩行困難に。「脊髄炎」と診断。 人生初の長期入院を経験。1年半の病気療養とリハビリを経てほぼ完治。体が丈夫であることが取り得だと過信していたが病気療養という「人生の休憩時間」を持てたことで、自分の人生、健康、家族についてじっくり考える機会に。
30年間の会社員生活を通しての経験や仕事や子育てや家事との両立、40代後半に不動産投資を開始したこと、1年半の病気療養生活から分かった日常の大切さや"あたりまえ"の愛おしさをブログで発信。自身がアドバイザーでもあるマヤ暦のことも時々発信している。
マヤ暦KINナンバー:K91 青い猿/青い嵐/音13 ガイド: 青い鷲
【座右の銘】自分の可能性を諦めない」。【ミッション】自分ファーストで生きる女性を増やすこと。心とお金を整え自分の可能性(種)を見つける「ジブン未来STORY」を主催。
通院が母と一緒にいれる大切な時間になっていた
今朝から親娘で病院の定期診察とリハビリだった。
私は毎に月1回、病後の定期診察に通っているが、早いものでもう1年近くになる。
1年前突然病気になった闘病記はこちら
↓
【脊髄炎発症前症状】ウイルス感染の高熱と外耳炎を甘くみてはいけない!
足に痛みを感じていた母も、昨年の後半から一緒に同じ病院に通い始めている。
母も体力的に年齢には勝てないところもあって弱音を吐くこともあるが、いいペースで回復してきているので、この調子で親娘共々頑張っていこうと思う。
薬局から薬をもらって、ようやく全て終わったのは午後3時過ぎ。
さすがに疲れた。
帰りに母とイタリアンのお店でランチをして帰って来るのが、定番になりつつある。
母も楽しみにしているので、こちらも嬉しくなる。
いつの間にかこの通院の日が、母との大切な時間になっていた。
去年病気をしてから、「人の人生いつどこでどうなるか分からない」と考えるようになり、高齢になった母もいつどこでどうなるか分からないので、出かけられる時に出かけるようにしたい。
これも自分で勝手に親孝行だと思っている。
だいぶ苦労をしてきた母を幼い頃から見てきたが、母はいつもケラケラと笑っている。
些細なことも笑いに変えてしまう思考には、いつも感心させられ救われる。
側から見ればたいしたことがないことでも、親娘で笑いが絶えない、だいぶ遅めのランチを楽しんだ。
いつまでも、母には長生きして欲しいと思う。
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成瀬汐里(なるせゆうり)1969年生まれ。ライフシフトクリエイター|30年間住宅業界に従事し管理職を経験。家事や子育ても両立しながら家族のお弁当を27年間作り続け2019年起業。しかし半年後に腹部に痛みが出始め僅か10日間で歩行困難に。「脊髄炎」と診断。 人生初の長期入院を経験。1年半の病気療養とリハビリを経てほぼ完治。体が丈夫であることが取り得だと過信していたが病気療養という「人生の休憩時間」を持てたことで、自分の人生、健康、家族についてじっくり考える機会に。
30年間の会社員生活を通しての経験や仕事や子育てや家事との両立、40代後半に不動産投資を開始したこと、1年半の病気療養生活から分かった日常の大切さや"あたりまえ"の愛おしさをブログで発信。自身がアドバイザーでもあるマヤ暦のことも時々発信している。
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【座右の銘】自分の可能性を諦めない」。【ミッション】自分ファーストで生きる女性を増やすこと。心とお金を整え自分の可能性(種)を見つける「ジブン未来STORY」を主催。