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ー 50歳からの心と暮らしの整え方 ー 成瀬汐里のブログ

【脊髄炎発症前症状】ウイルス感染の高熱と外耳炎を甘くみてはいけない!

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成瀬汐里(ゆうりん)1969年生まれ。心と暮らしが満たされる生き方|不動産投資家。ファイナンシャルプランナー、コーチングマイウェイ認定コーチ、ポジティブ心理学、元お金系認定講師、インテリアコーディネーター、マヤ暦アドバイザー。 東京と地方の二拠点生活。30年間住宅業界に従事、管理職を経験。家事、子育てを両立しながら家族のお弁当を27年間作り続ける。50歳を迎えたタイミングで子供が大学を卒業し、社会人になったのを機にサラリーマンを卒業し起業。しかし半年後に腹部に痛みが出始め、わずか10日間で歩行困難に。「脊髄炎」と診断。 退院後1年半の病気療養とリハビリを経てほぼ完治。 病気になる以前は大きな病気もせず、体が丈夫であることが取り得だと過信していたが病気療養という「人生の休憩時間」を持てたことで、自分の人生、健康、家族についてじっくり考える機会に。 30年間の会社員生活を通しての経験や仕事や子育てや家事との両立、40代後半に不動産投資を開始したこと、1年半の病気療養生活から分かった日常の大切さや"あたりまえ"の愛おしさをブログで発信。自身がアドバイザーでもあるマヤ暦のことも時々発信している。 マヤ暦KINナンバー:K91 青い猿/青い嵐/音13 ガイド: 青い鷲
詳しいプロフィールはこちら

私は今まで大きな病気をしたことがない、丈夫なだけが取り柄で50年間生きてきました。

しかし、2020年1月に突然「脊髄炎」という、それまでに聞いたことがない病気を発症し、突然右の脇腹が痛み出して、日を追うごとにその痛みは強くなり、歩くことも困難になりました。

痛みを感じるようになってから、わずか10日間の出来事でした。

 

この闘病記は、私がかかってしまった「脊髄炎」が、どのように進行して完治に近い状態までに回復した闘病生活を、お伝えしたいと思います。

 

※ 脊髄炎を発症するまでの生活を簡単にまとめていますので私の「プロフィール」をご覧ください。

私のプロフィール

 

そして、今後は下記の内容を、段階を踏まえて詳しくお伝えしていきたいと思います。

  1. 病気が発症するまでの今だから生活や思い当たる体のサイン
  2. 原因が分からないまま病名がわかるまでの10日間で、どのように進行していったか
  3. 入院してからの治療生活
  4. 退院後の生活
  5. メンタルの浮き沈み
  6. 更年期障害や坐骨神経痛の併発

 

今回のこちらの記事では、主に下記の内容についてお伝えしたいと思います。

  • 発症直前まで、どのような生活を送っていたか
  • 仕事によるストレスで、1年以上治療に通院していた「外耳炎」について
  • 発症の約1カ月前に、出張先で突然の高熱

 

私のような病気にかかってしまった方や、そのご家族の方に参考になれば幸いです。

横断性脊髄炎について

自分なりににいろいろ調べてみたところ、私の症状は「横断性脊髄炎」と全く同じような症状でした。

「脊髄炎」は、脊髄の炎症を意味し、「横断」とは、単に炎症の発生する部位が脊髄の横断面であることを示します。

「横断性脊髄炎」が詳しく書いてあるサイトもありますので、こちらをご覧ください。

↓ ↓
横断性脊髄炎 / Transverse Myelitis

*クリストファー&ダナリーブ財団サイトより

 

「脊髄炎」が発症する直前のまでの生活

私は忙しくサラリーマン生活を行っていましたが、子供達も無事に大学を卒業したのを機に、2019年6月から本格的に自宅で仕事をするようになりました。

 

※ 脊髄炎を発症するまでの生活を簡単にまとめていますので「私のプロフィール」をご覧ください。

私のプロフィール

 

サラリーマン時代は毎日の通勤時間に往復2時間弱を費やしていましたので、平均の帰宅時間が夜の9時過ぎでした。

時々は終電で帰ったり、休日出勤もありました。

サラリーマンを卒業すれば、そんな通勤時間往復2時間弱の生活から開放され時間にも余裕ができるし、なんといっても人間関係のストレスや時間の拘束から開放されると思っていました。

確かにその通りではありましたが、その分運動量が極端に減りました。

 

普段の移動手段はほとんど電車です。

当然サラリーマン時代は電車を利用しますので、家から駅までは歩いて行きます。勤務先の最寄りの駅から会社に着くまでも10分近く歩きます。

駅の改札からホームに行くまでは、必ず階段で上ったり下りたりします。

普通に当たり前のような日常の生活でも、この通勤時間が適度な運動になっていたのだと、今だから思えます。

そして、その当たり前のサラリーマン生活が運動不足から救ってくれていたのだと、改めて感じています。

 

脊髄炎が発症する直前までの生活は、サラリーマン生活の時にしっかりと身についていた食材のまとめ買いを週に1度の買い出しで済ませるようにしていましたし、講師仲間との打ち合わせや勉強会やセミナーの開催以外はほとんど家から出ることはありませんでした。

 

しかし、そんな生活も3カ月を過ぎた頃に、さすがにこのままではダメだなと感じ始め、近所にあるトレーニングジムへ入会をしましたが、「健康のための体力づくり!」「ダイエットのために痩せたい!」といった確固たる目標設定をして行き始めたわけでもないので、1カ月くらいで足が遠のいてしまいました。

今まで大きな病気を一つも経験してこなかったので、疲れたら寝れば回復する=元気になると思っていましたし、この時は新たなことを始めていて、どうしてもそのことに集中しなければいけない状況にあったので、『健康』という大切なことを後回しにした生活をしていました。

 

発症1年以上前から「外耳炎」で耳鼻科通院

サラリーマンを辞める1年以上前から、仕事や人間関係のストレスで、気がつくと左耳の中を掻いてしまうようになっていました。

厳密に言うと、東京でサラリーマン生活を始めた2年目(病気を発症する4年前)くらいからだと思います。

その時の仕事は住宅保険及び保証の対応で、一日中パソコンに向かいながら全国の取引先のビルダーとのメールや電話でのやり取り、大手保険会社との打ち合わせや保険請求、新しいシステム導入の打ち合わせや経理絡みの処理等々で、仕事が終わらない時は休日出勤ををしていました。

業務内容は延々と終わらない持久走を続けているようで、メンタルは疲弊していました。

「早くサラリーマンを卒業したい」という気持ちがとても強くなり、副業をするために株式投資の学校に通い始め、更にその年の11月から不動産投資の学校にも通い始めました。

時間にも気持ちにも余裕を持たずに自分を追い込んでいったストレスからか、気付いたら左耳の中から血が出るようになっていました。

※ その時の生活をまとめていますので「私のプロフィール」をご覧ください。

私のプロフィール

 

そして、左耳の症状はどんどん悪化していましたが、忙しさを理由にすぐに病院で診察を受けることをせずに、その状態が数ヶ月続いてからようやく病院へ行きました。

耳の中の消毒と赤外線をあてる治療のために、しばらくの間通院をし、その時点で一旦は良くなりました。

しかし、強いストレスを感じると自然に左耳の中を掻いてしまっていて、症状はまた元に戻ってしまいました。

良くなっては掻いてしまうを繰り返し、発症の1年くらい前からは慢性化してしまい、定期的に通院を続けていました。

脊髄炎を発症する1カ月ほど前に、別の病院で診てもらいステロイドの点耳薬を処方されました。

すると驚くほどに回復して、血も出なくなり痒みもなくなりました。

この時は、もっと早く病院を変えればよかったと思いました。

 

「耳って脊髄炎に関係するの?」と思う方も多いと思いますが、始めて病名が脊髄炎と分かった時に、それまでの症状と耳鼻科で治療を長い間行っていたことを先生に伝えたところ、「耳鼻科も通っていましたか。多分間違いないかな、脊髄炎という病気の可能性が高いと思います。」と詳しく検査を行う前の問診でおっしゃっていました。

「横断性脊髄炎」が詳しく書いてあるサイトもありますので、こちらをご覧ください。
↓ ↓
横断性脊髄炎 / Transverse Myelitis

*クリストファー&ダナリーブ財団サイトより

 

脊髄炎発症の1カ月前に出張先で突然の高熱

病気が発症する約1ヶ月前の2019年の11月末に、セミナーのサポートで大阪へ向かった際に高熱に襲われました。

思い当たる原因としては、東京から大阪へ向かった交通手段を深夜の高速バスを利用した際に、予約した席が窓側の席で、一晩中とても寒かったので体が冷えてしまったからだと思います。

 

大阪へ到着をして直ぐに、宿泊先のホテルへ向かい近くの病院を紹介してもらいました。

時期的に、インフルエンザが流行りだしていたので、すぐに検査を行いましたが結果は「陰性」でした。

その時既に39度近い高熱が出ていたので、大阪に仕事で来ているので他の人に迷惑をかけるわけにはいかないので、なんとか熱を下げてほしいと頼みました。

とても強い解熱剤を処方されましたが、それ以外の薬は何も出ませんでした。

早速ホテルへ戻って薬を飲んですぐに寝ましたが、薬が強さでお腹が緩くなってしまい、ゆっくり休むことは出来ませんでしたが横になったままでした。

 

次の日の仕事をこなしましたが、その高熱は4日間続き東京の自宅へ戻ってからも37~38度代の熱が3日くらい続きました。それでも、普段めったなことでは病院へは行かないので、その時も私は病院へは行かず寝て治すことを行ってました。

ようやく熱が完全に下がってからは師走ということもあって、年末の気忙しさにあっという間に新年を迎えていました。

 

この高熱も原因の一つで、症例でもウイルス感染後に発症することも上げられています。

 

まとめ

脊髄炎を発症する前の、気をつけなければいけない日常の生活や、疑われる症状については、

  • ウォーキングやストレッチなどの適度な運動をする(これは脊髄炎以外の病気でも)
  • 充分な睡眠時間を確保する
  • 外耳炎や中耳炎などの耳の炎症も関係している
  • 長引く通院治療は、思い切って病院を変える
  • 高熱が下がらなかったら自己判断せずに、病院で再度診察を受ける

これらのことに気をつけ、きちんと病院へ行って検査をしていれば早期発見に繋がったかもしれません。

このような風邪のような症状、もしくは全く関係のない病状で改善されない場合は、脊髄炎だけではなく何か他の病気である可能性があると、少しでも頭の片隅に入れておいてください。

 

次の記事

【脊髄炎症状①】痛みが腹部に!初期症状のサインを見逃さない方法

 

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成瀬汐里(ゆうりん)1969年生まれ。心と暮らしが満たされる生き方|不動産投資家。ファイナンシャルプランナー、コーチングマイウェイ認定コーチ、ポジティブ心理学、元お金系認定講師、インテリアコーディネーター、マヤ暦アドバイザー。 東京と地方の二拠点生活。30年間住宅業界に従事、管理職を経験。家事、子育てを両立しながら家族のお弁当を27年間作り続ける。50歳を迎えたタイミングで子供が大学を卒業し、社会人になったのを機にサラリーマンを卒業し起業。しかし半年後に腹部に痛みが出始め、わずか10日間で歩行困難に。「脊髄炎」と診断。 退院後1年半の病気療養とリハビリを経てほぼ完治。 病気になる以前は大きな病気もせず、体が丈夫であることが取り得だと過信していたが病気療養という「人生の休憩時間」を持てたことで、自分の人生、健康、家族についてじっくり考える機会に。 30年間の会社員生活を通しての経験や仕事や子育てや家事との両立、40代後半に不動産投資を開始したこと、1年半の病気療養生活から分かった日常の大切さや"あたりまえ"の愛おしさをブログで発信。自身がアドバイザーでもあるマヤ暦のことも時々発信している。 マヤ暦KINナンバー:K91 青い猿/青い嵐/音13 ガイド: 青い鷲
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