通院帰りの母との時間は親孝行でもある笑いの絶えない大切な時間
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成瀬汐里(ゆうりん)1969年生まれ。50代からの心と暮らしの整え方研究家。ファイナンシャルプランナー、インテリアコーディネーター、マヤ暦アドバイザー。元お金系認定講師。東京と地方の二拠点生活。30年間住宅関係の仕事と家事と子育てを両立しながら、家族のお弁当も毎日作り続けて管理職も経験。子供が大学を卒業し社会人になったのを機にサラリーマンを卒業。自分のやりたいことを始めた矢先の50歳に原因不明の腹部の痛みに襲われ発病からわずか10日間で歩行困難に。「脊髄炎」と診断。
退院後1年半の病気療養とリハビリを経て、現在は日常生活ができるまで克服。病気になる前は大きな病気もせずに丈夫な体だけが取り得だと過信していた。病気療養という「人生の休憩時間」を持てたことで、自分の人生、健康、家族についてじっくり考える機会に。30年間の会社員生活を通しての経験、子育てや家事との両立、40代後半に入ってから仕事と投資の学校との両立での学び、1年半の病気療養生活から分かった日常の大切さや"あたりまえ"の愛おしさをブログで発信。自身がアドバイザーでもあるマヤ暦のことも時々発信している。
マヤ暦KINナンバー:K91 青い猿/青い嵐/音13 ガイド: 青い鷲
通院が母と一緒にいれる大切な時間になっていた
今朝から親娘で病院の定期診察とリハビリだった。
私は毎に月1回、病後の定期診察に通っているが、早いものでもう1年近くになる。
1年前突然病気になった闘病記はこちら
↓
【脊髄炎発症前症状】ウイルス感染の高熱と外耳炎を甘くみてはいけない!
足に痛みを感じていた母も、昨年の後半から一緒に同じ病院に通い始めている。
母も体力的に年齢には勝てないところもあって弱音を吐くこともあるが、いいペースで回復してきているので、この調子で親娘共々頑張っていこうと思う。
薬局から薬をもらって、ようやく全て終わったのは午後3時過ぎ。
さすがに疲れた。
帰りに母とイタリアンのお店でランチをして帰って来るのが、定番になりつつある。
母も楽しみにしているので、こちらも嬉しくなる。

いつの間にかこの通院の日が、母との大切な時間になっていた。
去年病気をしてから、「人の人生いつどこでどうなるか分からない」と考えるようになり、高齢になった母もいつどこでどうなるか分からないので、出かけられる時に出かけるようにしたい。
これも自分で勝手に親孝行だと思っている。
だいぶ苦労をしてきた母を幼い頃から見てきたが、母はいつもケラケラと笑っている。
些細なことも笑いに変えてしまう思考には、いつも感心させられ救われる。
側から見ればたいしたことがないことでも、親娘で笑いが絶えない、だいぶ遅めのランチを楽しんだ。
いつまでも、母には長生きして欲しいと思う。

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成瀬汐里(ゆうりん)1969年生まれ。50代からの心と暮らしの整え方研究家。ファイナンシャルプランナー、インテリアコーディネーター、マヤ暦アドバイザー。元お金系認定講師。東京と地方の二拠点生活。30年間住宅関係の仕事と家事と子育てを両立しながら、家族のお弁当も毎日作り続けて管理職も経験。子供が大学を卒業し社会人になったのを機にサラリーマンを卒業。自分のやりたいことを始めた矢先の50歳に原因不明の腹部の痛みに襲われ発病からわずか10日間で歩行困難に。「脊髄炎」と診断。
退院後1年半の病気療養とリハビリを経て、現在は日常生活ができるまで克服。病気になる前は大きな病気もせずに丈夫な体だけが取り得だと過信していた。病気療養という「人生の休憩時間」を持てたことで、自分の人生、健康、家族についてじっくり考える機会に。30年間の会社員生活を通しての経験、子育てや家事との両立、40代後半に入ってから仕事と投資の学校との両立での学び、1年半の病気療養生活から分かった日常の大切さや"あたりまえ"の愛おしさをブログで発信。自身がアドバイザーでもあるマヤ暦のことも時々発信している。
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