羽生結弦さんのいつまでも消えることのない蒼い炎
この記事を書いている人 - WRITER -
成瀬汐里(なるせゆうり)1969年生まれ。ライフシフトクリエイター|30年間住宅業界に従事し管理職を経験。家事や子育ても両立しながら家族のお弁当を27年間作り続け2019年起業。しかし半年後に腹部に痛みが出始め僅か10日間で歩行困難に。「脊髄炎」と診断。 人生初の長期入院を経験。1年半の病気療養とリハビリを経てほぼ完治。体が丈夫であることが取り得だと過信していたが病気療養という「人生の休憩時間」を持てたことで、自分の人生、健康、家族についてじっくり考える機会に。
30年間の会社員生活を通しての経験や仕事や子育てや家事との両立、40代後半に不動産投資を開始したこと、1年半の病気療養生活から分かった日常の大切さや"あたりまえ"の愛おしさをブログで発信。自身がアドバイザーでもあるマヤ暦のことも時々発信している。
マヤ暦KINナンバー:K91 青い猿/青い嵐/音13 ガイド: 青い鷲
【座右の銘】自分の可能性を諦めない」。【ミッション】自分ファーストで生きる女性を増やすこと。心とお金を整え自分の可能性(種)を見つける「ジブン未来STORY」を主催。
おはようございます。
今朝も涼しく、過ごしやすいです。
世間では、子供たちが夏休みに入りましたが、いったい夏は、どこへ行ってしまったのでしょうかね…
いつまでも消えない蒼い炎
昨日の夕方、羽生結弦選手がプロ転向への決意表明の記者会見が行われましたね。
記者の方々からの質問に、丁寧に答える姿はとても印象的でした。
一旦、「お疲れ様でした、今まで感動をありがとうございました」と言いたいです。
会見では、プロへの転向で、まだご自身が満足していないことに、更にチャレンジをしていくとおっしゃってましたね。
常に高みを目指すからこそ、羽生結弦選手の成長は止まらないのでしょうね。
私たちが知り得ない、影での並々ならぬ努力とご苦労があるのだとも思います。
まだまだ進化は止まらないようですが、競技という戦いから退き、今まで以上にスケートを楽しんで滑ってほしいと思います。
同じ東北出身で羽生結弦選手には勇気をもらいました
同じ東北出身で、東日本大地震経験者として、挑戦する姿にたくさん希望をもらいました。
私が印象に残っているのは、平昌オリンピックの1〜2年前に行われた日本国内の大会だったと記憶しているんですが、平昌オリンピックと同じプログラムで、世界最高得点を記録した時の演技でした。
あの時の完璧な演技に、テレビに釘付けになっていたのを思い出します。
得点が発表された時のキス・アンド・クライでの涙は、非常に印象的でした。
努力を重ねてきたことが形になった、といった表情と、静かに溢れ出る涙がとてもに美しかったです。
頑張ろうと思える勇気をもらう
アスリートの人達のように、ストイックなまでにも自分を追い込むことがないかもしれませんが、挑戦をしている姿に影響を受け、「私も頑張ろう!」という勇気をもらうことがたくさんあります。
今後も燃え続ける羽生結弦さんの「蒼い炎」(数年前に書店で手にした本のタイトルです)は、どんなふうに燃え続けるのか、今後の活躍が楽しみです。
引き続き、応援をさせていただきます。
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成瀬汐里(なるせゆうり)1969年生まれ。ライフシフトクリエイター|30年間住宅業界に従事し管理職を経験。家事や子育ても両立しながら家族のお弁当を27年間作り続け2019年起業。しかし半年後に腹部に痛みが出始め僅か10日間で歩行困難に。「脊髄炎」と診断。 人生初の長期入院を経験。1年半の病気療養とリハビリを経てほぼ完治。体が丈夫であることが取り得だと過信していたが病気療養という「人生の休憩時間」を持てたことで、自分の人生、健康、家族についてじっくり考える機会に。
30年間の会社員生活を通しての経験や仕事や子育てや家事との両立、40代後半に不動産投資を開始したこと、1年半の病気療養生活から分かった日常の大切さや"あたりまえ"の愛おしさをブログで発信。自身がアドバイザーでもあるマヤ暦のことも時々発信している。
マヤ暦KINナンバー:K91 青い猿/青い嵐/音13 ガイド: 青い鷲
【座右の銘】自分の可能性を諦めない」。【ミッション】自分ファーストで生きる女性を増やすこと。心とお金を整え自分の可能性(種)を見つける「ジブン未来STORY」を主催。