【脊髄炎症状③】左脚の温度の感覚がない!病気進行の見落としがちな注意点!
私は今まで大きな病気をしたことがない、丈夫なだけが取り柄で50年間生きてきました。
しかし、2020年1月に突然「脊髄炎」という、それまでに聞いたことがない病気を発症し、突然右の脇腹が痛み出して、日を追うごとにその痛みは強くなり、歩くことも困難になりました。
痛みを感じるようになってから、わずか10日間の出来事でした。
この闘病記は、私がかかってしまった「脊髄炎」が、どのように進行して完治に近い状態までに回復した闘病生活を、お伝えしたいと思います。
※ 脊髄炎を発症するまでの生活を簡単にまとめていますので私の「プロフィール」をご覧ください。
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私のプロフィール
そして、今後は下記の内容を、段階を踏まえて詳しくお伝えしていきたいと思います。
- 病気が発症するまでの今だから生活や思い当たる体のサイン
- 原因が分からないまま病名がわかるまでの10日間で、どのように進行していったか
- 入院してからの治療生活
- 退院後の生活
- メンタルの浮き沈み
- 更年期障害や坐骨神経痛の併発
これまでの症状の進行については、こちらをご覧ください。
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【脊髄炎症状②】検査結果異常なしでも腹痛と胸痛で歩行困難に!疑う心を持つこと
今回のこちらの記事では、主に下記の内容についてお伝えしたいと思います。
- 病院で診てもらった翌日も腹部の痛みが治らない
- 歩行時に痛みが肺から背骨の方へ響く
- 腹部の痛みで初診から2日後、心臓の病気を疑い再検査で両腕から血液を採取
- 更に症状は悪くなる一方
私のような病気にかかってしまった方や、そのご家族の方に参考になれば幸いです。
目次
病状はよくならず病院からだされた鎮痛薬も効かない
●2020年1月15日(水)
前日に、診察と尿検査、血液検査、CT検査を行ったが、結果は「全て異常なし」。
薬も鎮痛薬と胃薬を処方されていたので、きちんと飲んでいましたが、一向によくはなりませんでした。
病院から帰宅後、殆どベットで横になって寝ていたので、眠りが浅くなってしまったせいか夜中に目が覚めるようになり、トイレにもいくようになりました。
私はもともと睡眠時間が短いせいか、一度寝てしまうと朝まで起きることはありません。
しかしこの日から、夜中に目を覚ますようになりました。
最初は、「日中寝過ぎているからだろう」と思っていましたが、腹部の痛みが少しずつ強くなっていて痛みの範囲も広がっているのを感じました。
この日は、前日に病院で診てもらっていたので、病院へは行く気にはなれませんでした。
体温も夜中には38度まで上がっていましたが朝には37.8度に下がっていたので、インフルエンザも流行っていた時期でもあり、自分への感染を避けたいとも思いました。
幸いなことに食欲はあったので、お粥を作って食べたり、家族に頼んで買ってきてもらったヨーグルトやゼリーを食べていました。
薬もちゃんと飲んでベットで休む、を繰り返していました。
とにかく早く治したかったので、「安静にしてゆっくり休む」を心がけていたと思います。
しかし、日付も変わった2020年1月16日(木)の深夜から、2時間おきに目が覚めるようになりました。
腹部の痛みも少しずつ広がっていて、更に痛みも強くなる一方で、病院で処方されている薬をこの時は痛みを止めたい思いで、夜中にも飲んでいました。
しかし、薬は一向に効きませんでした。
痛みは治らず初診2日後に病院へ
●2020年1月16日(木)
明け方から痛みと悪寒との戦いで、熱も38度代付近を行ったり来たりしていました。
さすがに、「朝一番で、もう一度病院へ行こう」と思いました。
日に日に痛みが強くなり、この日の朝は左側の腹部まで(腹部全体)が痛くなっていました。
病院へ向かい歩き出すと、一昨日とは違って一歩踏み出すごとに、肺の方から背骨の方まで痛みが響きました。
思わず「痛い!」と呟き胸を抑えました。
この時は、どんどん進行していることが自分でも分かりました。
朝8時には病院の受付を済ませ、待合室で静かに待っていました。
診察開始は9時からですが、ここの病院はいつも混んでいて、受付開始が7時半からですが、その時点でも数人受付を済ませて待合室で待っています。
自分の名前がようやく9時半を過ぎた頃に呼ばれ、ほっとしながら診察室へ入りました。
前回のブログでもお伝えしましたが、この病院は中規模の総合病院なので先生が毎日変わります。
※前回のブログ
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【脊髄炎症状②】検査結果異常なしでも腹痛と胸痛で歩行困難に!疑う心を持つこと
この日は、一昨日に受診した先生とは違う先生でした。
診察のカルテに前回診ていただいた先生伝えたことは記してはありますが、再び先生へ伝えた後に、前回の診察後から今朝までの症状を詳しく伝えました。
すると先生は「心臓を調べた方がいいですね」とおっしゃいました。
「心臓ですか⁉︎⁉︎」と思わず聞き返してしまいましたが、先生は「はい、心臓です。念のために。」と冷静に返しました。
心臓の検査で血液を両腕から採取
直ぐに処置室へ案内され、ベットに横になりベテランの看護師さんがやってきて、手際良く私の腕に針を刺して両腕から血液を取り始めました。
この時の検査では、栄養ドリンク1本分ほどの瓶(今まで見たことがない)と一般的な長さの試験管と短い試験管分を、左右の腕から各々血液を採取しました。
これほどの量の血液を一度に採取されたのは初めてだったので、看護師さんも「大丈夫ですよ、心配しないでくださいね」と気遣いの言葉をかけてくれました。
採取後も、少しの間ベットで横になって体を休めました。
しかしこの時も仰向けで横になっていることが辛くて、体を左右どちらかへ向けて脚を曲げて横にならないといられない状態でした。
しばらくしてからベットから起き上がった後に再度診察室へ入り、先生からの話しを聞きました。
先生:今日の検査の結果は月曜日には出ますが、水曜日に来たほうがいいですね。
私:水曜日ですか? 1週間も先ですが、日に日に痛みが広がっているんです。痛みも強くなっています。
先生:ここの病院は外部の先生が殆どですので、日によってやっている科とやっていない科があります。この次に診てもらう時はこの先生がいいかと思います。
と言いながら、先生は「この先生」の名前をペンで差しました。「この先生」の名前の横には(神経内科)と書いてありました。
この時は何も気付きませんでしたが、先生は神経系を既に疑っていたのだと思います。
そしてこう続きます。
先生:追加でお薬を出しておきますね。一昨日に1週間分出ているので今度の水曜日までの分を追加で出しておきます。
私:先日出していただいた薬なんですが、全然効かないので何か別のお薬はありませんか?
先生:検査の結果が出ないとどういう薬がいいのか分からない、というのがが正直なところです。来週の検査の結果をみてからどういう薬にするか決めたほうがいいでしょう。念のために貼り薬(湿布)も出しておきます。
私:はい、お願いします・・
というやり取りの後、会計を済ませ薬局から追加分の飲み薬と貼り薬をもらって家に帰りました。
思いつく病気を片っ端からインターネットで検索するが該当する病気は無し
帰宅後、直ぐに着替えてから薬を飲みました。
この時は、「とにかく痛みを消したい、薬が効いてほしい」という思いで、何も口にせずに薬を空っぽの胃の中に入れました。
「胃薬も飲んでいるから胃への負担はそうはないだろう」という思いもありました。
この日はから昼夜をとわず、寝ていても2時間おきに目が覚めるようになりました。
「胴回り」に痛みが広がっていたので、横になっているとマットレスに背部、腹部が触って、どう寝返りをうっても痛みで目が覚めてしまいます。
そして尿意を感じてトイレへ行っても、ほとんど排尿はありませんでした。
この時、インターネットで自分が思い当たる病気を検索しました。
- イタイイタイ病
- 水俣病
- 癌
- リウマチ
- 心筋梗塞や脳梗塞の前兆
- 白血病
- 「急性」がつく病気
- ウイルス感染
- etc・・・
自分が思いつく病名を検索しましたが、思い当たるものはありませんでした。
●2020年1月17日(金)
前日よりも痛みが増し、睡眠不足にもなっていたので家族も心配をしていました。
離れて暮らす夫も、週末に様子を見に行くからと連絡をくれましたが、「たいしたことないから、わざわざ来なくていいよ」と返信をし、子供達も日中私を一人部屋に残し仕事に出かけるにも心配を隠せない様子でした。
今まで、「風邪をひいても熱を測ると余計に具合が悪くなる」といったような強いお母ちゃんだったので、お腹を抑えながら腰を90度に曲げ、物に手を掛けながらヨロヨロ家の中を歩く私の姿を見て、尋常ではないことくらい察していたと思います。
本当は翌日に、専門学校時代の仲良しだったクラスメイト4人で会う予定でした。
そのうちの一人は28年振りに会う友人で私も含め皆んなでとても楽しみにしていました。
銀座でランチをして私の自宅に招いてゆっくり語り合う予定でしたが、友達に事情を話し私は銀座でのランチは諦めるので、ランチの後に我が家に来てほしいと伝えました。
しかし、「体調が良くなってからでいいから、次の機会まで延期しよう」と友達3人が言ってくれました。
この時ばかりは、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいで、予約していた銀座のお店へ友達にキャンセルを入れてもらい、次の機会に会うことにしました。
残念なことに、その後もコロナウイルスの影響で、未だ再会は果たせていません。
更に病状は悪化し左脚の温度の感覚が感じられなくなる!
2020年1月17日(金)の夜は、温かい湯船に浸かりたいと思い少し熱めに浴槽にお湯をはりました。
ゆっくりとお風呂に浸かりながら「ちょっと熱かったな!」と思いながら、すっぽりと首までお湯に浸かり、「は〜」とため息をつきながら天井を見上げました。
そして目線をゆっくり折り曲げている脚の方へおろしました。
「あれ⁉︎体と右脚は熱いけど、左脚は温度の感覚がない!」
お湯に浸かっている感覚(何かに触れている)はあるけど熱さを感じません。
思わず左脚を湯船の中で叩きました。
叩かれている感覚はあっても、温度の感覚がないのです。
それから洗い場で冷たいシャワーを左脚にかけても、シャワーが皮膚にあたる感覚はあっても、温度は全く感じないのです。
この時はじめて「怖い」と思いました。
原因も分からず、胴回りの痛みは強くなっていて、右脚にも力が入らず私はどうなってしまうんだろうという怖さを感じました。
お風呂から上がって直ぐに子供達にその状況を伝え、夫にも電話で伝えました。
この時の恐怖心は今でもはっきりと覚えていて、更にこの後に訪れる大変な現実をこの時はまだ想像できませんでした。
今だから思うこと・・
この時ああしておけばよかった、こうしておけばよかったという後悔は不思議とありません。
それはきっと、今日常の生活が出来るまでに回復しているからだと思います。
病状は、車椅子生活の一歩手前まで急激に進行していきました。
原因不明の体の痛み、病気なのか何なのかすら分からないまま、体はおかしくなっていく恐怖。
今まで経験したことがない症状で、検査をしても「異常なし」としか結果は出ない。
どうすることもできませんでした。
私がかかった病院の「神経科」は月曜日と水曜日に外部の先生が来て診察をするので、3連休の休み明けの火曜日に初めて診てもらったことを思い起こすと、「3連休でなければ」とか「翌日の水曜日も行けばよかった」など、過ぎたことを考えることしか出来ません
しかし「運が悪かった」と思うよりも「こうなる運命だった」と思って、受け入れている自分の方が大きいです。
次の記事は、一番長かった忘れられない一日の話です。
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【脊髄炎症状④】痛みが強くなり歩行困難に!だが受付で診察を断られてしまった