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ー 50歳からの心と暮らしの整え方 ー 成瀬汐里のブログ

寒さに弱い50代大人女子の子供の頃の雪の楽しかった思い出と苦い思い出

ゆうりん
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ゆうりん
成瀬汐里(ゆうりん)・1969年生まれ。50歳からの心と暮らしの整え方研究家。東京と地方の二拠点生活。ライフアドバイザー、マヤ暦ライフ研究家。30年間住宅関係の仕事と家事と子育てを両立しながら、家族のお弁当も毎日作り続けて管理職も経験。子育ても終わりサラリーマンを卒業し自分のやりたいことを始めた矢先の50歳に脊髄炎を発症。リハビリに励み、現在は日常生活ができるまでに克服。病気療養という「人生の休憩時間」を持てたことで、自分の人生や健康や家族についてじっくり考え「ゆっくり丁寧に毎日を過ごそう」と決意し、日常のことやマヤ暦のことをブログで発信している。 K91 青い猿/青い嵐/音13 ガイド: 青い鷲
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ここ数日、ニュースやネット上では雪の情報が絶えず流れていて、今朝の情報番組でも東京の映像が流れていて、道を歩いている人が滑って転んでいる姿をカメラが捉えていました。

今年は、寒さが例年より厳しいですし、雪の量も多いですね。

しかし、私が子供の頃と比べると、毎年降る雪の量はずいぶんと少なくなりました。

今回は、そんな子供の頃を思い出したので書いてみようと思います。

寒さに弱くて苦手な私

雪国でもある東北出身の私ですが、寒さや雪が苦手です。

寒い冬は、暖かい部屋でこたつに入って雪が降っている外の景色を観ながら、アイスを食べるのが好きなタイプです。

 

もし、「この冬は、食料だけは送るから冬眠してていいよ」と言われたら「言う通りにしまーす!」と喜んで答え、春まで家から一歩も出ずに冬眠する(引きこもれる)自信があります。(笑)

 

そんな寒さに弱い私ですが、今朝は資源ゴミを捨てに外へ出たときに、頑張って雪だるまを作ってみました。

とても小さいですが、写真では大きく見えるように撮ってます。(そうでもないか)

この記事の最初の画像のものです。(笑)

 

途中、手が冷たすぎて神経が手に集中してしまい、「早く家に入ろう!」を心の中で何度もループしていました。

ヘタレ大人全開でした。

 

子供の頃に経験した大雪で停電した時の楽しかった思い出

子供の頃を思い出してみると、小学生の頃は毎年雪が膝上くらいまで積もっていました。

私が小学校6年生の時に、住んでいた地域一帯が4〜5日停電になったくらいに大雪が降ったことがありました。

その頃から、徐々に雪の降る量が少なくなってきた気がします。

 

その大雪はちょうどクリスマスの時期でホワイトクリスマスさながらの、夜はろうそくの火が灯りとなり、暖は石油ストーブで取って過ごしたのを思い出します。

このまま年越しも停電のまま迎えるのかと両親はハラハラしていましたが、子供の私は電気やガスが使えない生活をウキウキして過ごしました。

 

私が住んでいる地域はそれでも電気の復旧が早かったので、年末年始の特番を観ながら新年を迎えることができましたが、夫が育った地域は年末年始もライフラインが遮断されたままで、寒くて暗いお正月だったと言っていました。

 

この停電の話は、私が住む地域の同年代の人達の間では、雪が降ると必ず出る話題です。

小学生の頃の懐かしい思い出話です。

 

寒さが原因で起こるウインター・ブルー

ここでちょっと話が外れてしまいますが、先日知った、寒さが体やメンタルに影響するという、病気の話を少しだけしたいと思います。

 

今年の寒さは、だいぶ体にこたえる気がしています。

月の半分は東京で過ごしているからでしょうか、先日東京から戻った時に寒さで体が冷えきった日が続き、蓄熱暖房機の前やこたつから離れられませんでした。

 

そして冷えは、気持ちも沈んでしまう原因にもなるのだと実感しました。

日常のことも寒さで全くやる気が起きず、ただ「寒い、寒い」と言って動けなくなってしまいました。

 

この症状は、「ウインター・ブルー」「冬季うつ」「季節性感情障害(SAD)」といった病名があるのだと分かりました。

春になると症状は回復するらしいのですが、あまり軽視せずに体を冷やさないようにしておきたいと思います。

 

なので、先日の病院の診察の時に先生に症状を話して漢方を処方してもらいました。

その漢方を飲むと体が温まり、冷えを感じにくくなりましたのでご紹介します。


麻黄附子細辛湯

 

季節性感情障害(SAD)のことが詳しく書いてある記事もありますので、私と同じような症状が思い当たる方は読んでみてください。


季節性感情障害(SAD)はこんな病気

 

お正月の雪の苦い思い出

さて、話はまた子供の頃の雪の思い出話に戻りますが、確か小学3年生の頃だったと思います。

お正月の時に、着物を着せてもらっていましたが、その年は美容院へ連れて行ってもらって、髪も日本髪に結ってもらいました。

 

毎年お正月は母方の実家へ新年の挨拶へ行って家族で泊まっていましたが、その年は母が同級会に出席するために、私と父を残して出かけていきました。

父は叔父さん方々とお酒を飲んで、いつものように大人は大人で楽しんでいました。

 

私は振袖を着ていましたが、だからと言ってじっとしているような子供ではありませんでした。

一つ下の弟のように可愛がっていた従弟を連れて、振袖のまま祖母の家から歩いて30分くらい離れた「向山」という小高い山を、プラスチックのそりを引きながら登り始めました。

 

履物は、当然草履です。

草履の裏は滑り止めなど付いていません。

それどころかツルツルですので、登っては滑り登っては滑りを繰り返し、根性でその小高い山の頂上に登りました。

 

当時の私はこう考えたのだと思います。

「着物を着ているので、チマチマ小さい坂を何度も滑ったりしていられない。滑るなら長い距離を滑った方が着物を着ていても楽しめるだろう」と。

 

いざ滑り始めると気持ちが良かったのを思い出します。

しかも滑り始めた1本目からそりから転げ降ちていたので、着物をきたまま雪まみれの状態でした。

 

一度そうなると、あとは着物を着ていようがいまいがお構いなしの状態で、気付いたら髪にさしていたかんざしは無くなっていました。

美容院で綺麗に結ってもらった日本髪は乱れ放題、帯も緩んだ状態で帯に付いていた可愛らしい飾りもどこかへ無くなっていました。

 

途中、一緒に行った従弟が「ゆうりちゃん、これまた落ちたよ」と飾りを拾ってくれていましたが、それも途中で何処かへいってしまいました。

 

散々遊んだ後、まるで吉原遊郭の遊女が濡れた着物姿で、しかも泥にまみれてそりを引いて逃げてきたかのような姿で祖母の家に帰りました。

この後は察する通りで、躾に厳しかった祖母をはじめとした大人たちに、大目玉を食いました。

 

トドメは、同級会から気分を良くして帰ってきた母からの説教は、それはそれは大変なものでした。

当然着物や帯はダメになってしまい、それ以来私は成人式まで振袖を着ることはありませんでした。(笑)

 

一緒に滑った、弟のように可愛がっていた従弟も一緒に正座をさせられて説教をうけたことが、今でもチクリと心に残る苦い思い出となっています。

 

そんな私の雪を見ると思い出す、幼少期の話でした。

 

 

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成瀬汐里(ゆうりん)・1969年生まれ。50歳からの心と暮らしの整え方研究家。東京と地方の二拠点生活。ライフアドバイザー、マヤ暦ライフ研究家。30年間住宅関係の仕事と家事と子育てを両立しながら、家族のお弁当も毎日作り続けて管理職も経験。子育ても終わりサラリーマンを卒業し自分のやりたいことを始めた矢先の50歳に脊髄炎を発症。リハビリに励み、現在は日常生活ができるまでに克服。病気療養という「人生の休憩時間」を持てたことで、自分の人生や健康や家族についてじっくり考え「ゆっくり丁寧に毎日を過ごそう」と決意し、日常のことやマヤ暦のことをブログで発信している。 K91 青い猿/青い嵐/音13 ガイド: 青い鷲
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