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ー 50歳からの心と暮らしの整え方 ー 成瀬汐里のブログ

羽生結弦さんの決して守りに入らない精神力とブレない軸そして強さ

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成瀬汐里(ゆうりん)1969年生まれ。50代からの心と暮らしの整え方研究家。ファイナンシャルプランナー、インテリアコーディネーター、マヤ暦アドバイザー。元お金系認定講師。東京と地方の二拠点生活。30年間住宅関係の仕事と家事と子育てを両立しながら、家族のお弁当も毎日作り続けて管理職も経験。子供が大学を卒業し社会人になったのを機にサラリーマンを卒業。自分のやりたいことを始めた矢先の50歳に原因不明の腹部の痛みに襲われ発病からわずか10日間で歩行困難に。「脊髄炎」と診断。 退院後1年半の病気療養とリハビリを経て、現在は日常生活ができるまで克服。病気になる前は大きな病気もせずに丈夫な体だけが取り得だと過信していた。病気療養という「人生の休憩時間」を持てたことで、自分の人生、健康、家族についてじっくり考える機会に。30年間の会社員生活を通しての経験、子育てや家事との両立、40代後半に入ってから仕事と投資の学校との両立での学び、1年半の病気療養生活から分かった日常の大切さや"あたりまえ"の愛おしさをブログで発信。自身がアドバイザーでもあるマヤ暦のことも時々発信している。 マヤ暦KINナンバー:K91 青い猿/青い嵐/音13 ガイド: 青い鷲
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私は東北出身で寒い所で育っているわりには、寒さがとても苦手です。

今朝はうっすらと雪が積もっていて、寒い朝でした。

 

どうりで、昨日の夜中は、蓄熱暖房のファンが回りっぱなしだと思いました。

 

東日本大震災を乗り越えて

さて、今はオリンピック開催中ですね。

毎日結果が気になります。

 

注目している選手の一人に、同じ東北出身の羽生結弦さんがいます。

そして昨日は、男子フィギュアスケートのフリーが行われました。

 

以前、ドキュメンタリーで、羽生選手を紹介した番組を見たことがありました。

東日本大震災で被災し避難所で生活していたことや、練習場を失いスケートを諦めかけていたこと、全国のリンクに足を運んでボランティアでアイスショーに出場をしながら練習を続けいたこと。

 

そんな並々ならぬ努力を重ねながら、翌年には世界選手権に初出場し3位の成績となり、更に高みを目指し同じ年には単身カナダへ渡り、浅田真央ちゃんとライバルだったキム・ヨナさんのコーチに師事をしてからの活躍は私達の知る限りです。

 




進化し続けるための挑戦

今回は4回転半に挑んだオリンピックでしたが、結果は4位でした。

 

きっと4回転半に挑まなくても、プログラムの構成上オリンピック3連覇は果たせたかもしれませんが、羽生選手の中には更なる進化として、4回転半を飛んで金メダルを取りたい気持ちが、前回のオリンピックを終えた時から始まっていたのだと思います。

 

ソチオリンピックの、トリプルアクセルにこだわって、フリーの演技で挽回した浅田真央ちゃんと共通するところがあるなと感じていました。

 

「自分らしさ」を出した北京オリンピック

今回のオリンピックでの羽生選手の演技は、「自分らしさ」をとても感じました。

 

決して守りに入らない精神力、ブレない軸、信念、強さ、が伝わってきました。

 

勝つための“計算”は当然あったと思います。

難易度を下げたジャンプを飛んで、全てを確実に仕上げればメダル権内には間違いなく入っていたと思います。

 

しかしそれは、前回の平昌オリンピックでやりきったのだと思います。

 

今回のオリンピックは、自分への挑戦でもあり、全てを自分に集中させて「自分らしく」演技をしているように感じました。

 




東日本大震災から11年

東日本大震災からもうすぐ11年を迎えますが、羽生選手は「東日本大震災で被災した人達を、勇気づけたい気持ちで演技をしている」と話していたのをテレビで見たことがあります。

 

もう充分、たくさんの感動と勇気をいただきましたよ。

 

羽生選手と同じ年頃の子供を持つ母親として、頑張る子供の成長を母のような気持ちで応援していた一人でもあります。

 

胸を張って帰国してきてください。

 

感動をありがとう^^

 

 

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成瀬汐里(ゆうりん)1969年生まれ。50代からの心と暮らしの整え方研究家。ファイナンシャルプランナー、インテリアコーディネーター、マヤ暦アドバイザー。元お金系認定講師。東京と地方の二拠点生活。30年間住宅関係の仕事と家事と子育てを両立しながら、家族のお弁当も毎日作り続けて管理職も経験。子供が大学を卒業し社会人になったのを機にサラリーマンを卒業。自分のやりたいことを始めた矢先の50歳に原因不明の腹部の痛みに襲われ発病からわずか10日間で歩行困難に。「脊髄炎」と診断。 退院後1年半の病気療養とリハビリを経て、現在は日常生活ができるまで克服。病気になる前は大きな病気もせずに丈夫な体だけが取り得だと過信していた。病気療養という「人生の休憩時間」を持てたことで、自分の人生、健康、家族についてじっくり考える機会に。30年間の会社員生活を通しての経験、子育てや家事との両立、40代後半に入ってから仕事と投資の学校との両立での学び、1年半の病気療養生活から分かった日常の大切さや"あたりまえ"の愛おしさをブログで発信。自身がアドバイザーでもあるマヤ暦のことも時々発信している。 マヤ暦KINナンバー:K91 青い猿/青い嵐/音13 ガイド: 青い鷲
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