東日本大地震 福島での当時の生活【3回目】コンビニの商品が無くなっていく
目次
ぐちゃぐちゃになっている家の中
自宅に帰ると、息子は自分の部屋を片付けていました。
落ちた時計のガラスで覆われていた破片も、あちこちに散らばっているので、片付けは思うようにはいきません。
とりあえず、自分が大切にしているものや、必要なものをまとめていました。
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東日本大地震 福島での当時の生活【2回目】ランドセルの小学生に助けられて
食材の買い出しに出ることに…
私は息子に、食料の買い出しに行こうと言いました。
非常食のストックがあまり無かったのと、その日の夕飯がダメになってしまっていたので、とりあえず買いに行きたいと思いました。
愛猫と愛犬を、息子が作った仮の柵から出ないようにして、息子と近くのコンビニへ買い出しに向かいました。
お店に入った時は、いつもより少し人が多いくらいでした。
しかし、普段あまりコンビニで買い物をしない私は
「コンビニ価格は他のお店より高いな」
と思い、直ぐ近くにある大きなドラッグストアへ向かいました。
ところが、大きな幹線道路沿いにあるそのドラッグストアは、地震の影響で中の商品が売り場に散乱しているので、人が中に入れる状態ではなかったようで、すでに閉店していました。
これは予想外の展開で、慌ててさっき行ったコンビニへ引き返しましたが、すでに駐車場にはたくさんの車が押し寄せていて、渋滞になっていました。
「これはまずい!」
と思い、少し先にあるコンビニへ急いで向かいました。
そのコンビニはまだそんなに混み合ってはいませんでしたが、駐車場に車を止めるのに少し待ちました。
コンビニの商品がみるみるうちに無くなってしまった
車を駐車場に止めた後に、駆け足で息子とコンビニの中へ入りました。
すると、中で買い物をしている人々が値段を気にせずに、次々と商品を買い物かごへ入れていきました。
私も息子もその光景を見て、直ぐに2人で手分けをして、
- カップ麺6コ
- 食パン1つ
- レトルトカレー4つ
- レトルトの親子丼2つ
お惣菜の冷蔵棚に残っていた最後の
- カット野菜1袋
- スティック野菜2カップ
そして常備できる
- 水2リットル 2本
- 烏龍茶2リットル1本
- お菓子2袋
- チョコレート1箱
- 飴2袋
- ボックスティッシュ1箱
- おつまみをいくつか(何か口に入れられるもの)
- 他、覚えていませんが
などを次々と手に取り、カゴの中へ入れていきました。
これは必要ないかな、と考えながら一旦手にした物を棚に戻すと、直ぐに隣の人がその商品をカゴに入れました。
他の人達も同じように、次々と買い物かごの中へ商品を入れていくので、商品を買うか買わないかを考えている場合ではないと思いました。
陳列棚に並んでいた商品は、みるみるうちに無くなっていきました。
気がつくと、私たちがお店に入った時の倍の人達がお店の中にいて、レジに並ぶ人達もまるでディズニーランドでアトラクションに乗るときのように長くなっていて、最後尾を探すのがやっとでした。
ちょっとの時間で状況が一変していた
外を見ると、駐車場に入るために10台くらい車が並んでいたので、後から入ろうとした車は諦めて別のお店へ向かう車の姿も何台かありました。
お店の中の商品がもうほとんどない状態だったので、なんとも言えない気持ちでレジを待ちながら外の光景を息子と見ていました。
この時の状況は、私達も含め皆もそうでしたが、あっという間に無くなっていく商品をみて危機感を感じ、陳列棚に並んでいるものは片っ端から買い物かごへ入れている感じでした。
息子は複雑な表情で
「お母さん、あと少し遅かったらヤバかったね」
と言いました。
「確かにそうだね」
と私も息子に答えました。
夫や娘の安否が確認できていない不安な気持ちで…
レジを待つ間、
「まだ帰って来ない娘はどうしているんだろう。夫は仕事柄、大変な状況にいることは間違いない」
と震災が起きてから慌ただしく時間が過ぎてしまっていたので、息子とレジに並んでいる間、2人のことが心配でその気持ちがどんどん大きくなっていきました。
この時に買った金額は、6,500円くらいだったと記憶しています。
金額の割にはそれほど商品を購入してはいませんでしたが、私達の前後の人達も家族総出で買い出しにきていたようで、私達以上に買っている姿を見て、逆にもっと買っておけば良かったのだろうか…、と不安になりました。
レジで会計を済ませ、外に出ようとした時にお店に入ってくる人達は
「うわ、もう何もない!」
と言いながら、直ぐに別のお店へ向かう人がたくさんいました。
買い物を済ませた私と息子は、真っ直ぐ自宅に戻りました。
気が付くと、辺りは薄暗くなってきていて、時計は夕方5時をまわっていました。
家に着いて玄関に向かうと、娘の自転車が止めてあったのですぐに玄関を開けて大きな声で娘の名前を呼びました。
すると、廊下の奥の方から
「怖かったねー!」
と言いながら、愛犬を抱いた娘が出てきました。
「良かったー!無事だったんだね!」
と私も息子も声をあげ、無事を確認するように肩をポンポンと叩きました。
三人の無事を確認し、あとは夫の無事を祈るばかりでした。
自宅が在るエリアは停電になっていることに気付いて
辺りはだいぶ薄暗くなってきていましたが、買い物から帰る途中に在った住宅では、うっすらと電気が点いていました。
「ガスや水道はどうなのかな…。でも電気はついているので助かった」
と安心していましたが、どうやら私の自宅のエリアは停電になっていることが分かりました。
このままでは、暗い中、床に散乱しているガラスの破片が見えなくなってしまって危険ですし、我が家は蓄熱暖房機が動かないと暖をとることもできません。
仕方がないので戸締りをして、一旦、必要最小限のものとコンビニで買ってきたものを持って、子供達と愛猫と愛犬を連れて実家へいくことにしました。
幸いにも実家のほうは停電にはなっていなかったのと、ライフラインも正常に動いていたので助かりました。
頻繁にくる余震の恐怖
実家に子供達と避難をしてからも、震度1〜5の地震は頻繁にきていました。
この時、夫には全く連絡がつかず、実家にいることも伝えられませんでした。
テレビをつけると、どの番組のキャスターの人たちも、ヘルメットを被って状況を伝えていました。
そして岩手、宮城、福島の海沿いの地域が、津波で大変なことになっていると初めて知りました。
家族全員でテレビに釘付けになり、海沿いの地域は地震だけの被害ではないことを知り、今まで生きてきた人生で初めて経験し想像以上のことが起こっているのだと、実感しました。
その日の夜中に、夫が一時帰宅をしました。
自宅に帰っても誰もいないので、実家に避難しているのかと思って寄ってみたと言っていました。
私も夫も家族全員の安否確認ができたのでほっとしましたが、仕事上、夫は
「しばらくの間帰れないかもしれない」
と言い残し、また直ぐに職場へ戻っていきました。
その日は一晩中、電気とテレビをつけたまま、頻繁に起こる揺れの中で過ごしました。