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ー 50歳からの心と暮らしの整え方 ー 成瀬汐里のブログ

マヤ暦の還暦は52歳 ゼロに戻る再出発の時である特別な誕生日を迎えて

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成瀬汐里(ゆうりん)1969年生まれ。心と暮らしが満たされる生き方|不動産投資家。ファイナンシャルプランナー、コーチングマイウェイ認定コーチ、ポジティブ心理学、元お金系認定講師、インテリアコーディネーター、マヤ暦アドバイザー。 東京と地方の二拠点生活。30年間住宅業界に従事、管理職を経験。家事、子育てを両立しながら家族のお弁当を27年間作り続ける。50歳を迎えたタイミングで子供が大学を卒業し、社会人になったのを機にサラリーマンを卒業し起業。しかし半年後に腹部に痛みが出始め、わずか10日間で歩行困難に。「脊髄炎」と診断。 退院後1年半の病気療養とリハビリを経てほぼ完治。 病気になる以前は大きな病気もせず、体が丈夫であることが取り得だと過信していたが病気療養という「人生の休憩時間」を持てたことで、自分の人生、健康、家族についてじっくり考える機会に。 30年間の会社員生活を通しての経験や仕事や子育てや家事との両立、40代後半に不動産投資を開始したこと、1年半の病気療養生活から分かった日常の大切さや"あたりまえ"の愛おしさをブログで発信。自身がアドバイザーでもあるマヤ暦のことも時々発信している。 マヤ暦KINナンバー:K91 青い猿/青い嵐/音13 ガイド: 青い鷲
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マヤ暦の還暦は52歳

52歳の誕生日は「マヤ暦」でいうと『還暦』をあらわします。

「え⁉︎ 早過ぎない?」

とお思いの方も入るでしょう。

初めて聞いた時、私もそう思いました。

 

「マヤ暦」では、オギャ〜と生まれてきた日は、その日のエネルギーをいっぱい吸い込んでこの世に誕生したといわれています。

そして、誕生日、生まれる場所、親は自分が選んで生まれてきたともいわれます。

なので、誕生日を知ることで自分自身のやミッションや役割が分かります。

 

なぜ52歳が還暦なのか

「マヤ暦」では『4つの時代』があり、この世に誕生して誰もがその時代を生きていて、1つの時代は13年毎に変わります。

  1. の時代(起)
  2. 白の時代(承)
  3. の時代(転)
  4. 黄色の時代(結)

全ての人達が赤の時代から始まるわけではなく、私のように「青の時代の13年目」から始まる人もいます。

これも全て自分が選んでこの世に誕生しています。

 

13年 × 4つの時代 = 52歳

となります。

 

0歳
1歳
2歳


49歳
50歳
51歳
--- 節目 ---
52歳 = 0歳
53歳 = 1歳
54歳 = 2歳

 

『0に戻る〜再出発の時』でもあります

「還暦」という言葉に、年齢を感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、

『0に戻る〜再出発の時』

と思ってください。

 

52歳は、0歳でオギャ〜と生まれてきたその日のエネルギーと同じエネルギーが流れています。

52年間で経験したことと、自身のミッションを元に第二の人生が始まります。

 

今の時代は、人生100年時代ともいわれています。

52歳はちょうど真ん中にあたりますし、一般的な60歳の還暦までにまだ8年もあります。

それまでにいろんな準備をしていくのに、充分時間があるかなと私は捉えています。

 

今まで何人かの人にセッションをさせていただきましたが、皆さん52歳の時に

  • 起業をした人
  • 仕事のペースを変える人
  • 離婚をして再出発をした人
  • 52歳の年の出逢いが、今の仕事に繋がった

という、人生の節目を迎えている方が、結構おられました。

 

私も今年の誕生日に52歳を迎えました

「マヤ暦」を知ってから、52歳という節目を迎えることが楽しみでもありました。

私は、マヤ暦では13年目はギフトの年といわれている「青の時代の13年目」に誕生しているので、52歳の還暦に13年目を迎えます。

ですので、どんなギフトが待っているのかも楽しみです。

 

11年目の「壊す」の時に「横断性脊髄炎」になり、自分の身体が壊れました。

一時は、歩けなくなるのかな、とも思いましたが、

12年目の「解決する、安定」の年に、それまでやっていたことを手放し、自分自身と向き合う年でもありました。

 

私の闘病ブログはこちら

【脊髄炎発症前症状】ウイルス感染の高熱と外耳炎を甘くみてはいけない!

 

13年目を迎える、ちょうど52歳になる誕生日は、夫や子供達からもおめでとうの連絡をもらい、友人知人からもたくさんのおめでとうの言葉をいただきました。

本当に感謝です。

 

52歳の誕生日当日 母から難産だった話を改めて聞くことができて…

誕生日当日は定期診察とリハビリがあり、同じ病院に通っている母親と、朝からずっと一緒に居ることができました。

病院に向かう車の中で、私の出産の時の話を聞かせてくれました。

 

体が弱かった母は、私を出産する時に自衛隊の方々の協力をえて、輸血をしながら出産をしたそうです。

今は完治しましたが、血小板が異常に少ない病気をもっていたために、出産の時の出血を止めることが難しく、自衛隊の方々から輸血を受けながらの出産だったそうです。

 

そのおかげで、生まれてきた時は頭に”大きなたんこぶ”があったものの、元気な産声をあげて生まれてきたそうです。

そのたんこぶは、1週間程度で消えたと言っていました。

 

出産はとても大変だったので、母はずっと心配をしていたそうですが、分娩室に入る前日に私が夢枕に立って「お母さん、私はちゃんと生まれてくるから大丈夫だよ」と母に言ったそうです。

その夢をみて、母は安心して出産に挑んだと言ってました。

 

「52歳の娘の誕生日を一緒にお祝いできるのは幸せだね」と母が言ってくれた

そんな母と病院の帰り道にある回転寿司で食事をして、お祝いをしてもらいました。

この時も、私が5歳前後の頃に、駅前で開業していた親戚の歯医者の帰りに、当時はアーケードの中に在った回転寿司屋さんでいつも食べて帰ったことを話ながら懐かしみました。

 

「あの出産が、もう52年も前なんだ(笑)、そりゃ私も歳はとるわね〜(笑)」

 

といいながら、親娘の時間を楽しみました。

 

「52年経った今日、娘の誕生日を一緒にお祝いできるのは幸せだね」

 

と言ってくれる母に、誕生日を一緒に過ごせたことは幸せであり、親孝行になっているのかなと思いました。

仕事に行っている父には申し訳ありませんが。(笑)

 

夫とのお祝いの時間と生かされた命に感謝をして

夜は、夫が買ってきてくれたシャンパンと、ケーキでお祝いをしました。

予定ではお肉を焼こうかと考えていましたが、病院帰りに母と食事をした回転寿司で、夫にもテイクアウトのお寿司を買ってきたので、急遽メニューを変更して、お寿司と私の好きな煮物にしました。

色目は地味でしたが、50を過ぎた夫婦の食事はそれだけで充分でした。(笑)

 

去年、病気をして、改めてあとどれくらい生きられるのかを考えさせられ、生かせられた命を毎日大切に過ごしたいと思います。

 

52歳『0に戻る〜再出発の時』

 

これからの人生、どんなことが起こるのか楽しみでもあります。

 

今、私と同じ世代の人達は、自分が子供だった頃の50代のイメージと大きく違っていると思います。

周りを見渡しても元気な人がとても多く、いきいきとしています。

そういう姿を見て、私自身もパワーをもらいます。

元気な身体であっても過信せずに、共に日々を大切に過ごしましょう。

 

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成瀬汐里(ゆうりん)1969年生まれ。心と暮らしが満たされる生き方|不動産投資家。ファイナンシャルプランナー、コーチングマイウェイ認定コーチ、ポジティブ心理学、元お金系認定講師、インテリアコーディネーター、マヤ暦アドバイザー。 東京と地方の二拠点生活。30年間住宅業界に従事、管理職を経験。家事、子育てを両立しながら家族のお弁当を27年間作り続ける。50歳を迎えたタイミングで子供が大学を卒業し、社会人になったのを機にサラリーマンを卒業し起業。しかし半年後に腹部に痛みが出始め、わずか10日間で歩行困難に。「脊髄炎」と診断。 退院後1年半の病気療養とリハビリを経てほぼ完治。 病気になる以前は大きな病気もせず、体が丈夫であることが取り得だと過信していたが病気療養という「人生の休憩時間」を持てたことで、自分の人生、健康、家族についてじっくり考える機会に。 30年間の会社員生活を通しての経験や仕事や子育てや家事との両立、40代後半に不動産投資を開始したこと、1年半の病気療養生活から分かった日常の大切さや"あたりまえ"の愛おしさをブログで発信。自身がアドバイザーでもあるマヤ暦のことも時々発信している。 マヤ暦KINナンバー:K91 青い猿/青い嵐/音13 ガイド: 青い鷲
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