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ー 50歳からの心と暮らしの整え方 ー 成瀬汐里のブログ

マヤ暦と易経から受け取ったメッセージは”命を大事にすること”だった②

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成瀬汐里(ゆうりん)1969年生まれ。50代からの心と暮らしの整え方研究家。ファイナンシャルプランナー、インテリアコーディネーター、マヤ暦アドバイザー。元お金系認定講師。東京と地方の二拠点生活。30年間住宅関係の仕事と家事と子育てを両立しながら、家族のお弁当も毎日作り続けて管理職も経験。子供が大学を卒業し社会人になったのを機にサラリーマンを卒業。自分のやりたいことを始めた矢先の50歳に原因不明の腹部の痛みに襲われ発病からわずか10日間で歩行困難に。「脊髄炎」と診断。 退院後1年半の病気療養とリハビリを経て、現在は日常生活ができるまで克服。病気になる前は大きな病気もせずに丈夫な体だけが取り得だと過信していた。病気療養という「人生の休憩時間」を持てたことで、自分の人生、健康、家族についてじっくり考える機会に。30年間の会社員生活を通しての経験、子育てや家事との両立、40代後半に入ってから仕事と投資の学校との両立での学び、1年半の病気療養生活から分かった日常の大切さや"あたりまえ"の愛おしさをブログで発信。自身がアドバイザーでもあるマヤ暦のことも時々発信している。 マヤ暦KINナンバー:K91 青い猿/青い嵐/音13 ガイド: 青い鷲
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ここのところ不思議だな、と感じることが起きています。

それは、私が数年前に病気になった時から「今に繋がった」ことを実感することがありました。

 

前回は、マヤ暦でいう「生きている時代」の話をしました。

前回の記事はこちら

マヤ暦と易経で点と点が線になったことを実感!私が病気になった歳の年周り①

 

今回は、その続きになります。

この不思議な体験を読んでみてください。

東京の大きな病院で診察を断られたことによって決断したこと

病気が発症して9日目の夜に、熱めのお風呂に入りました。

私は冷え性なので、単純に体が冷えているのも原因の一つかもしれないと思ったからです。

 

この時の入浴は、体の中で起こっている違和感が恐怖に変わった瞬間でもありました。

それは、熱めのお風呂に入っても、左側の腰からつま先まで、温度を感じていないことに気付いたからです。

 

闘病グログも書いていますので、よかったら読んでください。
こちらから  ↓ ↓
【脊髄炎発症前症状】ウイルス感染の高熱と外耳炎を甘くみてはいけない!

 

体、右側の腰から下のつま先までは、熱くて我慢しながら湯船に浸かっている状態でしたが、左側はお湯に触れている感じはあっても、温度を感じていないことに気付きました。

「え⁉︎ なんで?」

痛みで自分がおかしくなっているのかと思い、シャワーで水を体にあてました。

 

真冬でしたので、当然身が震えるほどの冷たさです。

しかし、左脚はシャワーがあたっていることは感じますが、冷たさは全く感じませんでした。

 

急に怖くなってきて、家族に伝えました。

その日の夜中は、体の痛みと温度を感じない左脚が気になって、なかなか眠れないまま朝を迎えました。

 

この時診てもらっていた病院の、次の診察は4日後です。

「きっとそれじゃ遅すぎる」と思い、自宅から近い2つの大きな病院へ電話をしましたが、断られました。

 

「困ったな…」と思っていたところに、娘から心配の電話をもらいました。

「直接行ってみたら?」という娘の言葉に、「確かに!」と思い自宅から1本で行ける、電話をした病院とは別の大きな病院へいくことにしました。

 

しかし、この病院でも受付で断られてしまうんです。

この日の夕方、私は救急車で搬送される事態となりますが、搬送された病院での検査で「異常なし」という検査結果が出たことで、夜中にタクシーで自宅へ帰って来ることになってしまいました。

 

搬送された病院では、痛み止めの点滴を打ってもらいましたが、全く痛みは緩和されませんでした。

痛み止めの飲み薬も出してもらっていたので、帰ってからすぐに飲みましたが、やはり痛みは一向に治らず、その日の夜中も痛みと恐怖であまり眠ることはできませんでした。

 

明け方に尿意を感じたので、四つ這いになってトイレに行きましたが、尿は出ない状態でした。

また四つ這いになって、寝室に戻る途中のリビングで椅子に座り、考えました。

 

「郡山の病院で診てもらうしかない」

そう決断し、その日の午前中に夫に迎えにきてもらい、夕方に私の田舎である郡山の自宅の戻ってきたのです。

 




郡山へ戻ってきた日はKIN191、この日に重なったことが3つ

マヤ暦を勉強してから、今回病気になったことに驚くことが4つありました。

まず1つ目が、この”KIN191″の日は、夫の母親であり私の「義母のKINナンバーの日」だったのです。

そして2つ目は、易経では「艮為山(ごんいさん)」

 

艮為山の持つ意味として

  • 「山」の象徴
  • 田舎
  • 神仏を意味する卦
  • 先祖
  • ゆっくり備える

などがあります。

 

前回の記事にも書きましたが、この年周りのKINナンバーは、”KIN141″、青の時代11年目、易経は天山遯(てんざんとん)。

前回の記事はこちら

マヤ暦と易経で点と点が線になったことを実感!私が病気になった歳の年周り①

 

天山遯には「退く、逃れる」というキーワードがあります。

そして、私がマヤ暦を勉強したテキストに書いてある言葉の中に、「頑張りすぎて倒れてしまう」という文字が書かれていました。

 

まさに、田舎から出たことがない義母が持つKINナンバー、易経は艮為山。

「一旦田舎に退け」というメッセージをこの日に私は受け取っていたのです。

 

 

そして3つ目が、私が郡山の自宅に戻ったその日の夜に伯母の訃報が届きました。

ずいぶん後に分かったことですが、伯母は私にとって「絶対反対KIN」を持つナンバーの人だったのです。

 

伯母が持つKINナンバーは、KIN221です。

このKINナンバーが持つ紋章は、「赤い龍」と「赤い月」。

 

キーワードは

【赤い龍】

  • 生命を大切にする
  • 生命を育む
  • 母性のエネルギー

 

【赤い月】

  • 浄化
  • 新しい流れ
  • 水の力

 

易経は【火地晋】

  • 諦めていたものが戻ってくる
  • ゆっくり自信を持って進める
  • 次のステージに進む大きなターニングポイントが目の前にきている

 

私がマヤ暦の勉強を始めてから、1年後に伯母が私の絶対反対KINということが分かり、病気になったことで気付きを起こしてくれたのだ思わずにはいられませんでした。

 

 

そしてもう一つ、私の母の想いを感じたメッセージ

更に驚いたことがありました、これが4つ目になるのですが、私の体が痛み出した日は「私の母の鏡の向こうのセットの日」が始まった日でした。

 

“母の鏡の向こう”のセット(4日間)が持つ意味としては、

  • 身内に対する格別な思い
  • 迷いと葛藤を超越する
  • 渋滞の中で何に気付くか
  • 焦らないこと

などがあり、母の鏡の向こうのドンピシャに書いてある(講座で追記してある)言葉が

あなたはもう一人の私、気付かせよう」

でした。

 

私は、実母と義母の二人から「一旦田舎に退け」というメッセージを、病気が始まった日から受け取っていたのです。

そのことを実感したのは、この後にコロナウイルスで世の中が大変なことになってしまったことにも繋がっていると感じたからです。

 




私が読み解いたこと

たくさんのマヤ暦の講座を受けた中で、

  • “鏡の向こう”は、「過去世からのメッセージ」
  • “絶対反対KIN”は「現世からのメッセージ」

と仰ったアドバイザーの先生がおられました。

 

私はこの言葉を聞いた時に、とても腑に落ちました。

なぜなら、病気が始まった日から田舎に帰ってくるまでに、実母の”鏡の向こう”から始まり、帰った日は義母のKINナンバーの日、そしてその日に亡くなった伯母は私の”絶対反対KIN”の人だったからです。

 

講座を受けている時は、全く気付かないメッセージでしたが、勉強を始めてから1年を過ぎた頃から気付き始めることが多くなりました。

「マヤ暦は260日もあるのに、なぜこの日に? なぜ目の前にこのKINナンバー?」

という偶然が重なり過ぎていて、必然にしか思えないと感じてしまいます。

 

 

私は、郡山に帰ってきた日に重なった3つと、病気が発症した日の母の鏡の向こうのメッセージから、こう読み解き、解釈しました。

「一旦田舎に戻って、ゆっくり休みなさい。そして命を大事にしなさい。そうすることで新しい流れが起こるはず。焦らずに、諦めずに。」と。

 

こんな素敵なメッセージをくれた、実母、義母、伯母に感謝しかありません。

そして、マヤ暦って不思議だな、凄いなと感じています。

 

この次は、入院する時に受けたメッセージを書きますね。

 

 

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成瀬汐里(ゆうりん)1969年生まれ。50代からの心と暮らしの整え方研究家。ファイナンシャルプランナー、インテリアコーディネーター、マヤ暦アドバイザー。元お金系認定講師。東京と地方の二拠点生活。30年間住宅関係の仕事と家事と子育てを両立しながら、家族のお弁当も毎日作り続けて管理職も経験。子供が大学を卒業し社会人になったのを機にサラリーマンを卒業。自分のやりたいことを始めた矢先の50歳に原因不明の腹部の痛みに襲われ発病からわずか10日間で歩行困難に。「脊髄炎」と診断。 退院後1年半の病気療養とリハビリを経て、現在は日常生活ができるまで克服。病気になる前は大きな病気もせずに丈夫な体だけが取り得だと過信していた。病気療養という「人生の休憩時間」を持てたことで、自分の人生、健康、家族についてじっくり考える機会に。30年間の会社員生活を通しての経験、子育てや家事との両立、40代後半に入ってから仕事と投資の学校との両立での学び、1年半の病気療養生活から分かった日常の大切さや"あたりまえ"の愛おしさをブログで発信。自身がアドバイザーでもあるマヤ暦のことも時々発信している。 マヤ暦KINナンバー:K91 青い猿/青い嵐/音13 ガイド: 青い鷲
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