【脊髄炎症状⑦】病気を神経系の総合病院で発見!やっと痛みの原因が分かった
私は今まで大きな病気をしたことがない、丈夫なだけが取り柄で50年間生きてきました。
しかし、2020年1月に突然「脊髄炎」という、それまでに聞いたことがない病気を発症し、突然右の脇腹が痛み出して、日を追うごとにその痛みは強くなり、歩くことも困難になりました。
痛みを感じるようになってから、わずか10日間の出来事でした。
この闘病記は、私がかかってしまった「脊髄炎」が、どのように進行して完治に近い状態までに回復した闘病生活を、お伝えしたいと思います。
※ 脊髄炎を発症するまでの生活を簡単にまとめていますので私の「プロフィール」をご覧ください。
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私のプロフィール
そして、今後は下記の内容を、段階を踏まえて詳しくお伝えしていきたいと思います。
- 病気が発症するまでの今だから生活や思い当たる体のサイン
- 原因が分からないまま病名がわかるまでの10日間で、どのように進行していったか
- 入院してからの治療生活
- 退院後の生活
- メンタルの浮き沈み
- 更年期障害や坐骨神経痛の併発
これまでの症状の進行については、こちらをご覧ください。
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【脊髄炎症状⑥】痛みの原因を神経系の総合病院で特定!検査を2日かけて行う
今回のこちらの記事では、主に下記の内容についてお伝えしたいと思います。
- 帰宅後の夜、痛みで眠れずにソファーで座ったまま朝を迎える
- 地元の神経系の大きな病院で診察
- 2日間に渡って検査を実地
- 原因と病名を発見
私のような病気にかかってしまった方や、そのご家族の方に参考になれば幸いです。
原因と病名を発見し「(横断性)脊髄炎」と判明
●2020年1月21日(火)
全ての検査が終わり、検査の結果と先生の話しを聞くために、待合室でしばらくの間待っていました。
自分の名前が呼ばれてから中に入ると、先生は「2日間にわたって、ご苦労様でしたね」と言いながら、私達に声をかかてくれました。
MRI検査の画像を確認し、私達に分かりやすいようにペンで指しながら、先生はゆっくりと説明を始めました。
「背骨と一緒に脊髄があって、ここを見ていただくと一部白くなっているのが見えます。ここが炎症を起こしており、今回の腹部周りの痛みの原因になっていると考えられます。そして、髄液検査の結果も見ると、タンパク質の量が正常な人の数値は「0」なんですが、検査の結果ですと高い数値が出てますので、病名は『脊髄炎』で間違いないと思います。
この時、ようやく自分がなんという病気になっていて、痛みの原因がどこからきているのかが分かりました。
発症から13日目のことでした。
「これで、治療をしてもらえるんだ」という安堵の気持ちが込み上げてきました。
隣りで聞いていた夫も、痛みで苦しんでいた今までの私の姿を見ていたので、ホッとしていました。
病気が分かってすぐに「ステロイドパルス療法」を開始
先生からはこの日「すぐに治療を開始しましょう」と言われました。
「本来であれば、入院もこのまますぐにしていただきたいのですが、ベットに空きがありません。明後日の午後から入院をお願いしたいのですが・・」と言われましたが、ベットの空きがないのであれば仕方のないことですので、その日は「ステロイド」を処置室で2時間かけて投与してもらいました。
「ステロイド」という薬の知識は少しは知っていたので、少し不安はありましたが、体の痛みが少しでも取りたいという気持ちに方が強くて、「ステロイド」の薬が体の中に少しずつ入っていくのを見てました。
付き添ってくれている夫も、「これで本当によくなるのかな」と半信半疑でした。
東京で救急搬送された時にも「痛み止めの薬」の点滴をしましたが、全く痛みは治らなかったので、私もこの時は薬が効くのか信じられない気持ちと、なんでもいいから痛みを取りたいという気持ちが、大きく交差していました。
1回の「ステロイドパルス療法」の投与で驚くほどに痛みが消える!!
約2時間の点滴が終わるくらいには痛みはだいぶ和らいでいて、体がとても楽になっていました。
ベットの上で起き上がる時は、痛みで腹筋に力が入らなかったので夫に起こしてもらいました。
それから、自分の脚で立った時に、少しふらついた感じはありましたが、目の前の視界が明るくなったような気がしました。
それからは身支度をして、入院の説明を受けてから会計を済ませるために、待合室で待っている時に、痛みは更に和らいでいました。
そして、お昼も食べていなかったので、急にお腹も空いてきました。
帰りに、夫と食事をして帰ることにしました。
食事も残さずに食べることができましたが、食べている時には、発症した時ほどの痛みまで回復していて、少しだけ「チクチク」とした痛みがある程度になっていました。
それまではあまり食欲もなかったのですが、食事もしっかりと残さずに食べることができましたし、痛みが無いのってこんな感じだったな、と健康だった時のことを思い出していました。
次の日も、全く痛みも感じられず、久しぶりにゆっくりと過ごすことができました。
午前中に、しばらくの間仕事を休むことを仕事先へメールを送ったり、電話をしました。
この時はもう、完全に痛みが消えていました。
昨日までの痛みが、嘘のように全く痛みを感じなかったので、「完治したかも」と思わせるほど、薬は効いていました。
それから2日後に、無事に入院をすることができました。
今思うこと・・
2020年1月19日に私は、このまま東京にいてもて痛みに耐えられず、進行も早いと感じたので、地方の自宅が在る付近の病院で診察を受ける決心をして、帰省をしました。
この選択は、間違っていなかったように思います。
多分、あの時に東京に残ったままであれば、1週間、10日と時間ばかりが過ぎてしまい、もっと病気は進行してしまって、歩行困難になり、誰かの介添がないと暮らせない状態になっていたと思います。
今はこうして、日常の生活ができるようになるまで、すっかり回復をしました。
本当に嬉しいです。
次回からは、入院中のことをお伝えしたいと思います。