ひとりっ子の親の介護問題 認知症の母の症状が急変した日②
母が認知症になってから約2年。
幸いにも、発見が早かったので、薬で進行を遅らせることができていた。
「歳だから、物忘れが多いよね」程度と捉えれば、それ以外は私が幼い頃から知っている母とは変わりはなかった。
しかし、1週間振りに会った母は、違っていた。
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ひとりっ子の親の介護問題 認知症の母の症状が急変した日①
目次
父と夫と車の中で待っていた母は別人だった
新幹線を降りて改札を抜け、スーツケースをゴロゴロ引きながら外にある駐車場を見ると、我が家の車が止まっていた。
夫は私を見つけると、車の外へ出て「こっち、こっち」と手招きをした。
私は車へ急いで走っていき、夫はトランクを開けてスーツケースを中へ入れてくれた。
私も、リュックを肩から下ろし、トランクへ入れながら、車の中で振り返って私を見ている父と目を合わせた。
母は、前を向いたままだった。
助手席に乗り込んで、シートベルトを装着しながら母の方を見ると、血走った目で私を睨みつけていた。
いつもの穏やかな母は、そこにはいなかった。
母はずっと怒っていて笑うことはなかった
「お母さんただいま」
と私が母に向かって口にすると、
「だから言ったのに!」
と怒鳴り返してきた。
多分、その言葉を口にする前に、何か母の中で思うことがあったのだろう。
「そうだね、その通りだね」
と、私が母の目を見ながら答えると
「うん、分かった!」
と、落ち着いた様子だった。
病院へ向かう車の中で、度々、思い出したかのように、感情的な言葉を吐き出す母に、私は承認をするように
「そうだね、そうだね」
と言葉をかけ続け、父と夫は黙って聞いていた。
認知症の初期症状は物忘れと同じような症状から始まった
私は3年前に「脊髄炎」という病気になり、一時期歩けなくなったことがある。
その時に「神経内科」で診てもらった。
母の認知症も私と同じ「神経内科」の専門で、主治医も私と同じ先生を担当にしてもうように、病院へお願いをした。
何故なら、私の病気はどこの病院で診てもらっても、原因が分からず発見することができなかった。
後に、主治医となった先生に初めて診察を受けた時、すぐに病気を見つけてくれたので、私にとって信用且つ安心できる先生だったからだ。
幸いにも、母の認知症は発見が早かったので、薬で進行を遅らせることができた。
認知症の初期症状は、物忘れと同じような症状でもある。
なので、「歳だから仕方がない」と思いがちでもあるし、「まさか、私の親にかぎって」と認めたくない気持ちになりがちでもあるが、疑いの気持ちを持つことで早期発見につながるので侮れない。
発見が早かったせいか、母の認知症の進行も薬の効果で緩やかだったので、毎月の診察が昨年の末から3ヶ月に一度の診察になった。
今月末に、ちょうど診察の予定だった。
原因は薬を飲むタイミングにあった
残念なことが重なる時は重なるもので、主治医が1ヶ月前に転勤になってしまった。
引き継ぎはしてはもらっているものの、今までの母の経過をリアルに診てくれていたので、このタイミングで別の先生に診てもらうのには少し不安でもあった。
新しい担当の先生と話をしていく中で、先生は原因を探っていた。
「朝飲まなければならない薬を、夜飲んだりしたのが原因かもしれないですね」
と先生は冷静に話を始めた。
「”ドネペジル塩酸塩OD 5mg”というお薬は、認知症の初期にはとても有効に働きますが、それ以降にも進行を遅らせるのにも良い薬ではあるんです。しかし、夜に飲んでしまうと、脳が活性化して興奮状態になり眠れなくなるんです。もしかしたら、それが原因かもしれませんので、このお薬はしばらくお休みしましょう。ここ数日は眠れていないかもしれないので、睡眠薬を出します。」
と説明を受けた。
その話を聞きながら、私はハッと思った。なぜなら、その原因は私に思い当たることがあったからだ。
ちゃんと言われた通りに薬を飲んでいた母
母が飲む薬は、私が朝昼晩それぞれケースに入れて分かるようにしていたが、時々飲むのを忘れることもあったので、「気付いた時にでもいいから飲んで、飲むのが大事だからね」と、2週間程前に、母に言っていたのを思い出した。
それを母は、守っていたのだ。
朝に飲まなければならない薬を、夕方や夜に飲んでいたのだと思う。
家に帰ってから、”ドネペジル塩酸塩OD 5mg”という薬を、ケースから全て取り除き、飲み間違いを防ぐために、今後は父が食事の後に母に薬を渡すようにした。
この日は睡眠薬で夜はぐっすり眠れたせいか、翌日の母はだいぶ落ち着いたが、いつもの母とは違って口調はキツいままだった。
「このままの状態が、ずっと続くのだろうな」
と、私は覚悟をした。
「忘れないように、書いといて!」を連呼している母
この日の母は、会話の後に必ず
「忘れないように、書いておいて!」
という言葉を口にしていた。
なので私は、
「私も書くのを忘れちゃうかもしれないから、お母さんが書いてみるのはどう?」
と提案してみた。
すると、母は、
「うん、そうだね」
と言って紙に書き始めた。
そして、書いた紙を短冊状に切り始めた。この日はずっとそれを繰り返していた。
父とは、飽きるまでやらせておこうと話し、母は昼食も食べずに、夕飯の時間までひたすら紙に書いては切り、また紙に書いては切る、を繰り返していた。
1週間経った今日はいつもの母に戻りデイサービスへ
1週間、腫れものに触るような感覚で、母の様子を伺っていた。
夫も心配をして、昼休みに毎日電話をくれた。
3日前の母の日に、夫が買ってきてくれたケーキを、母は喜んで食べた。
様子がおかしかった時の母は、
「お母さんの好きな甘いものだよね?」
と、お饅頭や果物を渡しても
「そんなものはいらない、食べたくない!」
と言って受け付けなかった。
黙って様子を見ていると、水を入れた茶碗にお饅頭を入れて、食べられない状態にしてしまうこともあり、今まで見たことがなかった行動をすることもあった。
今日は、母が楽しみにしている、週に1度のデイサービスの日だった。
行けるか心配だったが、今朝実家へ行くと父が準備してくれた洋服に着替え、化粧水を顔にたたいているいつもの母がいた。
「今日はデイサービスの日だからね」
と母は言いながら、嬉しそうにニコニコしていた。
デイサービスの送迎の車の中から、嬉しそうに手を振って出かけていった母を見て、父も私も自然に
「よかった…」
と口にしていた。
いつもの母に戻ったと思えた今朝、やっと気持ちが穏やかになった気がした。
我が家の経験が、少しでもお役に立てたら嬉しく思います。
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