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ー 50歳からの心と暮らしの整え方 ー 成瀬汐里のブログ

大切なものを見失わずに自分のリズムで進む歩みは止めずにいたい

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成瀬汐里(なるせゆうり)1969年生まれ。ライフシフトクリエイター|30年間住宅業界に従事し管理職を経験。家事や子育ても両立しながら家族のお弁当を27年間作り続け2019年起業。しかし半年後に腹部に痛みが出始め僅か10日間で歩行困難に。「脊髄炎」と診断。 人生初の長期入院を経験。1年半の病気療養とリハビリを経てほぼ完治。体が丈夫であることが取り得だと過信していたが病気療養という「人生の休憩時間」を持てたことで、自分の人生、健康、家族についてじっくり考える機会に。 30年間の会社員生活を通しての経験や仕事や子育てや家事との両立、40代後半に不動産投資を開始したこと、1年半の病気療養生活から分かった日常の大切さや"あたりまえ"の愛おしさをブログで発信。自身がアドバイザーでもあるマヤ暦のことも時々発信している。 マヤ暦KINナンバー:K91 青い猿/青い嵐/音13 ガイド: 青い鷲 【座右の銘】自分の可能性を諦めない」。【ミッション】自分ファーストで生きる女性を増やすこと。心とお金を整え自分の可能性(種)を見つける「ジブン未来STORY」を主催。
詳しいプロフィールはこちら

実は私、もうすぐ、また一つ歳を重ねます。(キャッ!!)

いよいよ、カウントダウンが始まりました。

でも、幾つになっても誕生日は、唯一の自分だけのお祝い事なのでちゃんとお祝いをしようと思ってます♪〜(笑)

 

そんな53歳の誕生日を目前にした今、なんかしみじみ思うことがあるので書いてみようと思います。

マヤ暦は52歳が2回目の人生のスタート(再出発)の年

私はマヤ暦も勉強をしているんですが、マヤ暦では「52歳が還暦」で「2回目の人生のスタート(再出発)の年」と

いわれています。

 

詳しい記事を書いていますのでこちらをご覧ください。
↓  ↓
マヤ暦の還暦は52歳 ゼロに戻る再出発の時である特別な誕生日を迎えて

 

私は今、マヤ暦でいう52歳の還暦で、その52歳がもうすぐ終わります。

 

 

赤、白、青、黄色の4つの時代

マヤ暦は、赤、白、青、黄の時代を13年ずつ過ごします。

13年が4回周るとちょうど52年になります。

つまり、自分が生まれた年のエネルギーが、52歳の年に流れるんです。

 

私は“青の時代”の13年目に産まれているので、あと少しで“青の時代”が終わります。

もうすぐ迎えるの誕生日からは、“黄色の時代”の1年目が始まります。

 

そのせいか、ここのところ“青の時代”をなんとなく、振り返ることが多い気がしています。

“青の時代”は「変化変容の時代」とも言われているのですが、「本当にそうだったなぁ」と感じています。

 

 

「良い悪い」だけの選択では答えが出せない

1年前の私、2年前の私、3年前の私、4年前・・・と振り返ってみると、毎年変わっているんです。

 

良い方向へ変わったのか・・

悪い方向へ変わったのか・・

どうなのかなぁと考えましたが、どちらとも言えないです。(笑)

 

どうやら「良い悪い」だけの選択では、答えが出せないということみたいです。

 

 

“青の時代”で思い出すことのうちの一つ

“青の時代”で忘れられない出来事は、11年目に病気になったことですね。

それまでは、体が丈夫なだけが取り柄だったんですよ。

 

マヤ暦では、時代の11年目は「破壊、浄化」とも言われています。

50歳の時で、もうすぐ51歳を迎える時でした。

 

突然チクリと痛み出した痛みが、日を追うごとに胴回り全体に広がり、1週間も経たないうちに痛みで横になって寝れなくなっていました。

どこの病院でも病気がみつけられず、やっとの思いで足を運んだ大きな病院では、「他の病院で受診しているのであればダメです」と、診察を断られました。

 

この時は初めて、「私、本当に死ぬかも」と思いました。

ピシャリと案内の看護師に言われてからも、なんとか診てもらえないか懇願しましたが相手にしてもらえず、仕方なく、とぼとぼと病院の出口へ歩き始めました。

思わず「やばいな・・」と呟きながら天を仰いだ時、視界に入ってきたその大きな病院の吹き抜けの景色は、多分一生忘れないですね。




退院後、更に自宅での療養中には手の指に痛みが

退院してからも自宅で療養中に、脚だけではなく手の指も突然痛み出し、動かすことができなかった時がありました。

指に痛み止めの注射を打った時は、さすがに落ちました。

 

指を曲げると痛くてスマホも持てない、トイレに行ってもズボンや下着の上げ下ろしも指が痛くて時間がかかるから、しばらくは何も食べず寝室からも出ないで、ずっと天井だけを見ている日を送りました。

 

何も考えたくはなかったし、やる気も起きなかったし、誰とも会いたくなかったし。

ただ呼吸をしているだけの毎日でした。

 

全てが強制停止をさせられているような気がしました。

 

 

遠くに見えた小さな暖かい光

でも、遠く向こうの方でぼんやりと、小さな暖かい光が見えていたんですよね。

数日は、ぼんやり見ているだけでしたが、ある日「このまま諦めちゃダメだよ〜」って言われているような気がしました。

 

それから、少しずつ体を動かし始めストレッチをしたりウォーキングを始めました。

 

近所に公園がありますが、昔朝晩ジョギングをしていた時、池の周りを1周するタイムを測っていました。

しかしこの時は、1週どころかこの公園に行くのもやっとでした。

 

悲しくて涙が出たこともありましたが、少しずつ距離を伸ばしていきました。

病院へリハビリに通い、退院から5ヶ月後には近くの公園を1周できるようになっていました。

 

 

「完治する人が3分の1」の中に入りたい

私がかかった病気は、発症してから6ヶ月以内で

  • 完治する人が3分の1
  • 後遺症が残る人が3分の1
  • 歩けない人が3分の1

と言われています。

 

私は歩けるのだから、「完治する人が3分の1」を目指そうと思いました。

 

この年の夏の夕方、夫と二人で庭で夕涼みをしながら、病気をしてから初めてビールを飲みました。

この時の夫との会話の中で、「歩けるようになっただけでも本当によかったよね」と、しみじみ話したのを覚えています。

 

あれからもう、とうに6ヶ月は過ぎてしまいましたが、今も漢方で治療を続けています。

感覚も戻ってきたので、諦めずにこれからも頑張って続けていきます。

 

 

焦ってもしょうがないから、自分のリズムで進む歩みは止めない

落ち込んでも、焦っても、泣いても、笑っても、時は流れるし、前に進むんですよね。

私はここ数年「自分はどうなりたいのか?」を、自分と向き合ってきましたが、もう少し時間がかかりそうです。

 

でも、なんとなくですが、昨年の暮れから、流れが変わってきた感じもするんです。

もうすぐ、マヤ暦でいう「黄色の時代」(起承転結の”結”)に入るからですかね。

 

話を戻すと、あと少しでまた私は一つ歳を重ねます。

マヤ暦でいう、“青の時代“から”黄色の時代“へ変わる今、“青の時代“で忘れられないことを書いてみたくなったので、今回書いてみました。

 

実は私、結構なミラクル?、シンクロ?を体験していると感じています。

それはまた別の機会に。

 

 

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成瀬汐里(なるせゆうり)1969年生まれ。ライフシフトクリエイター|30年間住宅業界に従事し管理職を経験。家事や子育ても両立しながら家族のお弁当を27年間作り続け2019年起業。しかし半年後に腹部に痛みが出始め僅か10日間で歩行困難に。「脊髄炎」と診断。 人生初の長期入院を経験。1年半の病気療養とリハビリを経てほぼ完治。体が丈夫であることが取り得だと過信していたが病気療養という「人生の休憩時間」を持てたことで、自分の人生、健康、家族についてじっくり考える機会に。 30年間の会社員生活を通しての経験や仕事や子育てや家事との両立、40代後半に不動産投資を開始したこと、1年半の病気療養生活から分かった日常の大切さや"あたりまえ"の愛おしさをブログで発信。自身がアドバイザーでもあるマヤ暦のことも時々発信している。 マヤ暦KINナンバー:K91 青い猿/青い嵐/音13 ガイド: 青い鷲 【座右の銘】自分の可能性を諦めない」。【ミッション】自分ファーストで生きる女性を増やすこと。心とお金を整え自分の可能性(種)を見つける「ジブン未来STORY」を主催。
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