幸せの価値をどこに置くかで豊さが違ってくる ようは自分次第
夫にとっての楽しみが理解できるようになってきた
私は今、仕事の関係もあり、2拠点生活をしています。
月の半分は、夫との二人の生活をしているのですが、この距離感は、夫にも私にも心地いいんです。
多分、今の夫の唯一の楽しみは、高校からの同級生と、週末飲みに行くことだと感じています。
もともと家が大好きで、職場の歓送迎会や忘新年会以外は、ほとんど飲みに行くことがない夫です。
そんな夫が、週末の夕方になると「先に行っているから、来れたら来たら?」と私に声をかけて、出かけていきます。
お互いに、それぞれ好きなことをやって過ごしているので、休みの日はほとんど一緒の部屋にいることがありません。
なので、わざわざ2階に居る私のところまで来て、声をかけてくれます。
「分かった〜、後でいく」と私が返事をしてから、トントントンと階段を降りた数秒後に、玄関のドアのパタンと閉じる音がします。
近所にある居酒屋さんで、お店の人も気心が知れているので、家の他にもそんな場所があることは、夫にとって有難いことなんだと思います。
私が遅れていくことにも、私なりの気遣いがあります。
私抜きの、友達との時間も楽しんでほしいので、あえて最初から行かないんです。
多分、夫は気づいていないかもしれませんが。
なので私は、後半1時間くらいの参加で、どちらかというとご飯を食べに行くという感じです。
「ムダ」という価値があるもの
実は私は会社員時代、こういった飲み会のようなことに、時間とお金を使うことに抵抗がありました。
会社の飲み会は別ですが、それ以外の飲み会は気が進みませんでした。
シンブルにいうと「ムダ」と感じていたんですよね。
その分、本を読んだり、仕事をしたり、子供たちとどこかに出かける時間に割いた方がいい、と感じていたんです。
でも、きっと子供達がまだ小さければ、その考え方は変わらないとも思います。
50代を迎えて、子供たちも社会人になり、時間やお金にも少しは余裕ができてきたからこその、「ムダ」が今は心地いい時間なんですよね。
改めて思うのが、月日を重ねると、生きる年代は当たり前に変わってきます。
ようは、今いる年代やステージを楽しんだ方が「豊になる」ということです。
それはお金があるから、手がかかる子供がいないから、とかではなく、その年代にしかできないことってたくさんあって、そのことをちゃんと楽しんだ方がいいということです。
50代になって、今までの価値観からは変わりました。
40代までは、「この状態が死ぬまで続くだろう」くらいに思っていましたが、そうではないことに50代になると分かります。
そんなことが分かった50代前半なので、せっかくの残りの50代は、今まで「ムダ」と思っていたことを、ちゃんと楽しんでみようかと思います。
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