マヤ暦との出逢いはガイドに導かれたものでした!
今回は、私とマヤ暦との出逢いについて、詳しく話したことがなかったのでお伝えをしていこうと思います。
マヤ暦を勉強していくなかで、正直「偶然かな?必然かな?」と思うことが結構ありました。
でも、「これって、やっぱり必然かも!」と思うことができている今、マヤ暦との出逢いについて書いてみたいと思います。
肖像画の女性
今から4年近く前、当時の私は、必要に迫られてフェイスブックを始めたばかりでした。
フェイスブックをはじめとする、SNSというものにたいして、個人情報の流出が心配で、自分のことを写真や文章で投稿することに興味がありませんでした。
しかし、当時、会社帰りに通っていた学校の仲間たちの間で、フェイスブックの”秘密のグループ”での情報交換を必要とし、仲間たちからはいつも「まだアカウント作ってないの?」と言われ続けてました。
いよいよフェイスブックを使わざるを得ない状況になってしまったので、ようやく重い腰をあげてアカウントを開設しました。
すると、「お友達かも?」という人達が、何人か出てきました。
その中に、プロフィール写真は肖像画(当時)で「名前は見覚えがあるけど・・」という女性がいました。
その時は、フェイスブックの”秘密のグループ”での情報交換にしか使わないつもりだったので「多分、中学の時に転校していった人だったかな・・」くらいにしか思いませんでした。
数日経ってから、その肖像画の友達らしき女性から、なんとお友達申請がきました。
その時は、たまたまパソコン上でフェイスブックを開いていました。
お友達になるための”承認”ボタンを、押したか押さないかも分からないまま、なぜかその肖像画の友達らしき女性に、そのまま電話が繋がってしまい、パソコンの画面上にお互いの姿が突然現れました。
その時私の姿は、家族との夕飯を済ませ、洗い物を終わらせた後で、化粧はほとんど落ちていて眉毛も薄い状態でエプロン姿のままパソコンに向かっていました。(いつもそうですが)
肖像画の友達らしき女性は、湯上がりで髪を乾かしたばかりの姿で、首にタオルを巻いていました。
突然パソコン上に出てきたお互いの姿は、「ありのまま」の姿でした。(笑)
「え⁉︎⁉︎」
厳密にいうと、35年ぶりの再会はこの時でした。(なんとも不思議な感じ…)
気まずい雰囲気ではありつつも、少しの間話をして、リアルで会う約束をしました。
場所は「靖国神社の桜の木の下」。
何故かというと、この時に、お互いに大学生の息子を持つ母親であると知り、数ヶ月前に、私が夫と息子の三人で靖国神社へ参拝をした時に、学徒出陣で戦死した人達が母親に宛てた手紙を見て、涙した話になりました。
友人も、以前から靖国神社へ行きたいと思ってはいたけれど、なかなかきっかけがなくて、今だに行けていないということだったので、私達の35年ぶりの再会は「靖国神社の桜の木の下」に決まりました。
友人とのリアル35年ぶりの再会
待ち合わせ当日、九段下の駅の改札をぬけ、長いエスカレーターに乗って地上に出ると、友人らしき女性の後ろ姿が視界に入ってきました。
背後から、友人の名前を呼んでみました。
すると、驚いたように振り返り、その場でお互いに「きゃー!」っと声を出しながら、顔をくちゃくちゃにして泣きながら抱き合いました。
リアルで35年ぶりに再会できた瞬間でした。
靖国神社を参拝してから遊就館をじっくり鑑賞し、近くのお店でランチを食べた後、神楽坂まで話をしながら歩いて行きました。
そして、神楽坂に在るカフェに入ってコーヒーとケーキを注文し、中学3年の夏休みに、友人が転校してしまってから現在に至るまで、どんな人生を歩んできたのかをお互いに話しました。
今から4年近く前の2018年1月13日に、私は中学時代の同級生と35年ぶりに再会を果たした日でした。
「マヤ暦」との出逢い
カフェでは、中学の時の思い出を振り返りながら懐かしさに浸ったり、独身の時から、結婚、出産、子育て、今に至るまで、苦労した時のことなどを聴いて涙したりと、話しはつきませんでした。。
お互いに時を重ねて、今を迎えていることを実感しました。
すると友人は、「マヤ暦って知ってる?」と言い出しました。
「マヤ暦?、はじめて聴くかな・・」と私は答えました。
「私ね、マヤ暦を勉強していて、占いではないというけど、初めて聴く人からすれば、占いのような・・」と簡単に説明をした後、私や私の家族のことをみてくれました。
実をいうと私は、あまり占いを信じる方ではありませんでした。
なぜなら、お墓参りにもきちんと行っていましたし、仏壇や神棚にはいつも手を合わせていたので、「何かあればご先祖さまが守ってくれる」という、変な自身だけはあったからかもしれません。(笑)
しかし、今になってマヤ暦を勉強していて思いますが、どちらかというと「人間学」に近い(実際にそう言われている)ところもあると感じています。
だから、友人も勉強を始めた気持ちが分かりました。
さて、友人から初めて聴くマヤ暦は、星占いのように、”牡羊座”、”蟹座”、という馴染みのある言葉ではなく、”青い猿”、”白い世界の橋渡し”、といったような、不思議な聴き慣れない言葉ばかりでした。
初めてマヤ暦に触れたその時は、良いことだけしか言われなかったので(基本マヤ暦には吉凶がありませんが)「そうなんだ〜♪」と、気分良くして帰ったことを思い出します。(笑)
この日から、友人とは35年のブランクを感じさせないほど連絡を取り合い、程よい距離でお付き合いをさせていただいてます。
というか、今は親友ですね。
この2年半後に、私はあることがきっかけでこの友人からマヤ暦を学び始め、その深奥な魅力に引き込まれてしまいました。
それまでは、気になることがあれば友人に連絡を取り「この日ってどう?」程度のことしか聴きませんでした。
もともと、あまり占いを信じません(良いことだけを信じて気分を良くしているような)でしたから、「何か気になることがあれば、友人に聴けば大丈夫〜」というくらいしか思っていませんでした。
「マヤ暦」を知ったその日は私のガイドの日だった!
−青い鷲の紋章−
マヤ暦を勉強するようになって、私と友人が35年ぶりに再会した日、つまりは私がマヤ暦を初めて知った日を調べてみました。
するとその日は、「K235の音1」の日。
この日に流れているエネルギーの紋章は『青い鷲』。
しかも、音1の日なので、『青い鷲』のエネルギーしか流れていない日でした。
『青い鷲』は、私の”ガイドの紋章”です。
まさにその日は、マヤ暦に導かれたガイドの日だったのです!
マヤ暦には、20の紋章があります。
そして、暦は260日という日数があるにもかかわらず、その日が私のガイドの『青い鷲』のエネルギーしか流れていない日だったことを知った時は、驚きしかありませんでした。
このような、シンクロニシティが起きたことは、この時ばかりではなく、いくつかありました。
特にガイドの『青い鷲』のエネルギーは、いつも私にとって「ここぞ!」という時に流れているエネルギーです。
本当に不思議です。
その話はまた、次の機会にしていきたいと思います。