昭和生まれの父親の骨折と我慢強さ 父の認知症の母への思いと花見
私の何気ない一言から始まった父の早い行動
事の発端は、4月に入ってすぐの日曜日に、私が実家で何気なしに、
「お父さん、うちの庭の落ち葉の片付けを、来月東京から帰ったら一緒にしてもらえない?」
と言ったことを、父は翌日に実行してくれたんです。(やることが早い、見習いたい…)
父は我が家の庭の落ち葉を片付けに来てくれた際、庭に延びていたツルに脚を引っかけて転んだそうなんです。
その日、そんな事は一言も言わずに、父は黙々と作業をして帰っていきました。
片付けに来てくれた日は予定があって、私は部屋で作業をしていました。
最後に落ち葉を袋に詰めるのは手伝いましたが、他は全て、父が一人でやってくれたんですよね。
この時既に骨折をしていた父、いつもと変わらず黙々と作業をしていた
昭和生まれの父の我慢強さ
2日後に、両親を花見に連れていく約束をしていたので、お昼頃に実家に行くと父が、
「ちょっとな、脚が痛くてな…」
と。
父は落ち葉の掃除をした日家に帰ってから、転んだ時に打った膝が徐々に痛み出し、夜に腫れあがったと言っていました。
ズボンをまくり上げて見てみると、膝がパンパンに腫れていたので、すぐに病院に連れて行きました。
車の中で
「だいぶ痛かったでしょ?」
と父に聞くと
「ちょっと痛かったな…」
と返事が返ってきました。
さすが、昭和生まれの人間。
「これだけ腫れているんだから、ちょっとではないでしょ」
と思いながら、病院へ向かいました。
レントゲン写真を見ながら骨折してますね
午前中の受付に滑り込みセーフで診察をしてもらい、レントゲンの画像を見ながら先生は
「膝の骨が骨折してますね、内出血もありますのですぐに血を抜きますね」
と。
目を瞑ったままベットに横になり、目の前で血を抜かれている父は、痛そうに顔をこわばらせていました。
この時に抜いた血の量は、なんと注射器3本分!
見ていた私の方が倒れそうでした。
これだけの内出血に、計り知れないな痛さだったと思いますが、父は痛いとか口に出さないんです。
古い昭和の人間なんですよね。
病院から帰宅後の父の脚が痛々しい
午前中に夕食の準備をしていた父
この日は花見に行く予定でしたので、お昼は外食をするつもりで、両親も楽しみにしていましたが、スーパーでお寿司を買って、実家の庭に咲いている花を観ながら食べました。
食べ終わってから、私は両親の夕飯作りに取り掛かろうとしましたが、鍋の中にはすでに、
- なめこと豆腐のお味噌汁
- きんぴらごぼう
- 煮魚
- 煮物
- 漬け物
が既に作ってあり、炊飯器には夕方ご飯が炊き上がるようにセットしてありました。
膝が痛いのにもかかわらず、父が午前中に作っていたんです。
「少し、持っていったらどうだ? 夕飯のおかずの足しになるだろ。」
と、父が言いました。
本当に、頭が上がりません。
母を桜を観に連れていきたいと言う父
父は次の日も、病院へ行って血を抜いてもらいました。
帰りの車の中で父が、
「自分の足はだいぶ楽になったし、お母さんに桜を観せたい」
と言いました。
「今年は、諦めたら?」
と私は言いましたが、
「お母さんは、楽しみにしていたと思うんだ」
と言う父を見て、連れて行くことにしました。
車で15分くらいの所にある、まだ観たことがなかった千本桜を観に連れて行きました。
桜並木が続く道を、私が運転をする車の後部座席から
「綺麗だな〜」
と、両親は目を細めながら、何度も口にして喜んで観ていました。
桜が満開の並木道を、車の中から観れたのが両親にとって良かったです
車での移動ではあっても、父の脚が心配でしたが連れて行ってよかったと思いました。
今ではすっかり回復して、先日は家庭菜園をしていました。
骨折で療養期間中も、ギプスをはめたまま、じっとはしていない父。
それはまた、次回に書きます。
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