東日本大地震 福島での当時の生活【2回目】ランドセルの小学生に助けられて
目次
会社から自宅へ向かう途中の道
家族や家で留守番をしている愛猫、愛犬、家はどうなっているのか、帰宅途中の車の中で心配の念が込み上げてくるのを抑えずにはいられないまま、自宅へと急ぎました。
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東日本大地震 福島での当時の生活【1回目】震災当日は映画を観ているようでした
家へ向かう途中の道路は、瓦礫や倒れた塀、庭木で塞がれていました。
ブロック塀は、太い鉄筋が入っているせいか倒れていませんでしたが、高級な大谷石で積まれた塀はどの家も倒れていて道を塞いでいました。
迂回をしながら
「自宅はどうなっているんだろう」
と不安に思いながら帰り道を急ぎました。
自宅に近づいてきた時に、倒壊せずに建っていた我が家が視界に入った時は、本当にホッとしました。
自宅に着いてから外回りを確認
駐車場に車を止めてから、ぐるりと家の外を歩きながら、瓦は落ちていないか、壁の損傷はないかを確認しながら、自分が目視した限りでは無事であると認識しました。
万が一、自宅の瓦や外壁などが落ちていて、周りの家へ迷惑をかけていないかの確認のためでもありました。
給湯器からの水漏れがあった場合などは、直ぐに水道の元栓を閉めたりしなければならないですし、ガス漏れをしていたらそれは大変危険ですのでそちらも確認をしました。
この時一旦、全ての元栓は閉め、給湯器の外の電源コンセントは抜きましたが、凍結防止のコンセントだけはさしたままにしました。
まだ気温も低い時期で、凍結は避けたかったからです。
外回りは、外壁に多少のヒビが入った程度、玄関ポーチの一部破損と崩れ、基礎にもヒビが少し入っていました。
地震で揺れている最中、会社の駐車場に避難している時に、近隣の家に大きな音を立ててヒビが入っていくのを目の当たりにしているのと、帰ってくる途中に半壊している家もあったので、このくらいは大丈夫と思えました。
自宅の中はごちゃごちゃで足の踏み場もありませんでした
その後自宅の中に入り、最初に目に飛び込んできたのは、玄関にある下駄箱に飾ってあった陶器の置き物は全て床に落ちていて、破れてしまっていました。
他には、外から帰った時にコートなどを掛けておく、ポール状のハンガーは3カ所くらい折れて倒れていました。
家の中に入るにも足の踏み場がない上に、プラスチックやガラスの破片が至る所に散乱しているので、靴を履いたまま確認するしかありませんでした。
リビングの引き戸を開けると、ソファーが入り口まで移動して、入り口を塞いでいました。
幸いにも、リビングは引き戸だったので中の様子を知ることはできたものの、入ることができませんでした。
テレビは倒れていませんでしたが、テレビを置いてある背の高い家具は、壁にピッタリとつけて配置していましたが、壁から1mくらい離れてリビングの中心寄りに移動していました。
その家具の棚に飾ってあった写真立ては全て床に落ちていて、ガラスも破れていました。
天井の照明とシーリングファンはズレていて、落ちてはいなかったものの、羽根の角度が変わっていました。
ローボードの本棚は部屋の真ん中まで移動しているので、それが邪魔をしていて入口を塞いでいるソファーを移動するスペースがありません。
中に入りたくても入れずにどうしようかと思っていました。
愛猫と愛犬が移動した家具のかげから私に飛び込んできました!
とにかく中に入って、当時飼っていた愛猫と愛犬はどうなっているのか、大きな声で名前を呼びながらソファーを退かそうと手をかけた時に、テレビボードの裏に隠れていた愛猫と愛犬が走ってきて私の胸の中へ飛び込んできました。
愛犬は震えていて顔を埋め、愛猫は
「ミャーミャー」
と言いながら私の顔を見ていました。
「良かったー!」
と叫びながら2匹をギュッと抱きしめ、
「怖かったね、怖かったね」
と声を掛けながら涙が止まりませんでした。
この時のことは、今も鮮明に覚えています。きっと忘れることはできないと思います。
帰ってきた息子の無事も確認!
ちょうどその時に、その日の午前中に私も同席していた、部活の先輩の卒業式に花束を渡した息子が帰ってきました。
午前中の感動的な状況とは一変していて、同じ日の午後とは思えませんでした。
息子も愛猫と愛犬を心配していて
「あー良かった!お父さんとお母さんは仕事で家にいないと思ったから、心配で急いで帰ってきたんだ!良かった良かった!」
と言いながら、私の腕で抱っこされている愛猫と愛犬の頭を撫でていました。
しかしこの時も、大きな余震が分単位できていたので、私は気持ちを落ちつけながら2匹を抱いたまま息子に
「猫の移動用のバックを物入れから出して!その後に廊下の奥に(三方壁で覆われていてガラスなどの破片が落ちてないところ)このキャビネットを移動させて柵を作って!」
と言いました。
このまま2匹を床に下ろしたら、プラスチックやガラスの破片で怪我をしそうだったからです。
息子は
「分かった!」
と言って通学用のバックを背負ったまま、直ぐに柵を作ってくれました。
息子が作った柵の中に愛犬を下ろし、愛猫を移動用のバックへ入れ、愛犬を下ろした柵の中へ置きました。
息子と大きな家具を移動
息子とリビングの入り口を塞いでいるソファーを移動する為に、大きな家具を元の位置に戻してスペースを作り、ソファーを移動して入り口から入れるようにしました。
2階の寝室や子供達の部屋は予想通り足の踏み場もない状態で、壁に掛けてあった時計は床に落ちて表面のガラスは破れて床に散らばっていました。
机も元の位置から大きく移動していて、引き出しも床の上に飛び出していました。
娘の部屋は、机がドアの前に移動してしまっていて、中に入ることが出来ませんでした。
すると息子が、
「俺の部屋の窓からお姉ちゃんの部屋の窓へ屋根の上を移動して入ってみるよ」
と言いましたが、
「いや鍵が開いてないでしょ」
と私が言うと、
「その時はその時!」
と言い、直ぐに行動に移しました。
今思うと、こんな危ないことを息子はよくやってくれたし、私もさせたなと思いますが、この時は今までの日常の景色や生活から一変してしまったいたので、作業の一部というような感覚だったように思います。
幸いにも、娘の部屋の窓に鍵はかかっておらず、息子が中に入ることができて、ドアを塞いでいた机を移動して部屋の中からでてくることができました。
キッチンは食器棚からグラスなどが落ちていて入れない状態
再び1階に戻り、キッチンを見てみると、食器棚にしまってあった気に入っていたワイングラスや、大事に使っていた高価なお皿が破れた状態で床に散らばっていました。
とても足を踏み入れる状態ではありませんでした。
更に、その日の朝に夕飯用として作っていた、お味噌汁とおかずが鍋ごと床に落ちていて、破れた食器やワイングラスとごちゃごちゃに入り混じっていて、手がつけられない状態でした。
私は息子とそれを見ながら
「うわ!」
と言うだけで、何もすることは出来ませんでした。
一旦息子と愛犬、愛猫を残し私の実家へ
近所に住む両親の家も気になり、片付けをしている息子へ
「また大きな揺れがきたら直ぐに逃げなさい」
と言い残し実家へ向かいました。
実家が視界に入ってくると、屋根の瓦が半分くらい落ちているのがわかりました。
その瓦が実家の前の道路を塞いでいて、車が何台か通れずに止まっている状態でした。
急いで走っていき、息を切らしながら
「すみません!」
と言った後、実家の物置からスコップを手にし、道路の脇へ集め始めましたが、なにぶん量が多く瓦も重いので時間がかかります。
止まっていた車は諦めてUターンを始めました。
私は黙々と
「ガガガー」
という音を立てながら、スコップで瓦を道路脇に寄せていました。
ランドセルを背負った小学生に助けられました
すると、ランドセルを背負った小学5〜6年生くらいの男の子が家に帰る途中、私の姿を見て
「手伝いますか?」
と声をかけてくれたのです。
私は、こんな小さな子供さんに手伝ってもらうわけにはいかないと思い
「ありがとう。その気持ちだけで充分だよ。危ないし、家でお母さんが心配しているから、早くお家に帰ってね」
と返事をすると、
「おばあちゃんとお母さんがいるけど、今日はお仕事で家に誰も居ないからお手伝いしたいです」
と言いました。
「お家はどこなの?」
と聞くと
「あそこを曲がって直ぐ」
と、指で家の方向を指しながらその子は答えました。
その会話をしているうちに、また車が次々と通れずに立ち往生しはじめました。
「それじゃ、申し訳ないね。有り難くお手伝いをお願いします!」
と男の子に伝え、実家の物置からもう一本スコップを取り出し、手に渡しました。
ランドセルを受け取り、実家の敷地の中へ大事に置きました。
立ち往生している車に向かい、
「すみません!」
と言い、小学生の男の子の手を借りながら、黙々と瓦を道路脇に寄せました。
実家がまさかこんなことになっているとは思わず、息子を家に置いてきたことを後悔していましたが、この時の小学生に、どれだけ助けられたことか、この時の小学生の行動に有難い気持ちでいっぱいになりました。
このことも、一生忘れることないと思います。
ようやく片付けが終わり、小学生の男の子に
「本当にありがとう。助かりました」
の感謝の言葉を伝え、実家にあったお菓子を手渡し
「家まで送って行くよ」
と言いました。
男の子は、
「大丈夫です」
と答えましたが、帰る途中に何かあってはと思い、同じ息子を持つ親の気持ちで
「いいから、いいから」
と男の子を自宅前まで送って行きました。
この時は、落ち着いたらお礼をするためでもあり、男の子の自宅を確認しておきたかったのもあります。
本当に有難い気持ちでいっぱいでしたので。
実家の母も怖さで立ったまま不安な気持ちを抱えて
男の子を送ったあと、走って実家に戻りました。
男の子にお礼のお菓子を渡す為に実家に中に入った時、母が大きな茶箪笥(昔のもの)に立ったまま掴まっていたので、それも心配でした。
「お母さん大丈夫?」
と家の中に入りましたが、母は
「茶箪笥が倒れないように抑えているから」
と言うのです。
私はパニックになっていることを察知し、
「お母さんの力じゃ、茶箪笥は支えられないよ」
と言いましたが、その時も頻繁にきている余震の揺れに、何かに捕まっていないと不安で仕方がない母の気持ちも分かりました。
母を茶箪笥が倒れても下敷きにならない位置へ移動させ、
「こっちに立って掴まってて」
と言いました。
母は「分かった」と言い。その間に起こる余震の揺れに「またきた!」と口にしながら不安になっている様子が伝わってきました。
しかし母は、私の家族のことを心配し、自宅に残してきた息子を気にかけ
「こっちは心配ないから、早く家に帰りなさい」
と言います。
父は仕事から帰ってくる途中だとは思いながらも、携帯電話が繋がらないので安否の確認はできません。
このまま一人母を残して行くことも、どうしていいのかと思っていた時に、父が帰ってきました。
「お父さん無事だったんだね!良かった!」
と私が言うと、父は
「いや〜、もう帰ってくる途中大変なことになっていた」
と言いました。
「これから大変なことになるぞ」
と父が言い、私は
「そうだね」
と言いながら実家を後にし、自宅へ向かいました。