ひとりっ子の親の介護問題 認知症の母の症状が急変した日①
先月の初めに、父が骨折をしてからの1ヶ月間、父と母と朝晩の食事を共にした。
普段は、マメな父が食事の準備や母のお世話をしてくれている。
久しぶりの家族水入らずの時間を、穏やかに過ごしていた。
穏やかに、笑いながら過ごしていた母
父が骨折をしてから1ヶ月間、何十年振りかの、三人での食卓を囲む時間。
「昔は、こんなだったな」
と思いながら、食事を共にした。
食事後に飲む、母の認知を遅らせるための薬も、お薬ケースで朝昼晩と、飲む薬を分かるように小分けにしてあるので、母が薬を飲んだのを見届け、食後の団欒の時間を楽しんだ。
いつものように、ケラケラと笑いながらテレビを観たり、会話をしたりする母だったので、このまま穏やかに過ぎていくことを疑いもしなかった。
父からの電話の向こうから聞こえる母の怒鳴り声
父の骨折も回復したタイミングで、5月の連休が始まった。
連休中、家族旅行を予定していたので、両親を残し私は家族旅行へ出かけた。
旅行後、私はそのまま東京の自宅に残り、夫は私の両親が近くに住む、地方にある自宅へ帰って行った。
その翌日の朝、父から突然電話がきた。
「はい、もしもし」
と電話に出ると、父の声よりも早く、電話の向こうで誰かが怒鳴っている声がした。
その後、父が
「あぁ、もしもし、なんかお母さんの様子がおかしいんだ。」
と、困惑した様子が伝わってきた。
「何かあった?」
と私が聞くと
「特に何もないが、今朝から急に怒り始めたんだ」
と。
父との会話中も、電話の向こうでは、母の怒鳴り声は止まなかった。
電話を切った後、私はすぐに夫に電話をして、様子を見に行ってくれるように頼んだ。
夫は、実家に到着してからすぐに、電話をくれた。
「お義母さんの顔が違う、目が血走っているし、いつものお義母さんとは全く違う。しばらく様子を見てみるよ。」
と言って電話を切った。
その日は一日様子を見てもらいながら、時々出先から連絡を取り合い、状況を教えてもらった。
翌日の朝、父に電話を入れると、
「昨日は一睡もしていない。玄関から外に出ようとして、部屋に戻ろうとはしないから、付き添ったまま朝を迎えた」
と。
80過ぎの父が、一睡もできなかったことは、体に大きな負担であることには間違いない。
私はすぐに、今回の東京滞在で、予定をしていた先へ連絡を入れてキャンセルをした。
夫にも協力をしてもらいたかったが、連休明けの初日でもあったので、連絡をするのを躊躇した。
しかし、父からの電話の向こうで怒鳴っている母の声を、一睡もせずに聞いている父のことを思うと、そうも言ってはいられない。申し訳ないと思いながら夫へ連絡を入れた。
「午前中は帰るのが難しいから、午後から早退するから」と夫は言ったが、なんとか都合をつけてくれて、午前中に早退をして実家へ向かってくれた。
夫は実家に到着してからすぐに、私に電話をくれた。
「お義母さん、昨日と同じだな…」
夫が電話で話している最中も、母の声は止むことはなかった。
私は、午前中予定をしていた、オンライン講座が終わった後すぐに荷造りをし、電車に飛び乗った。
立ったまま、スーツケースを押さえながら外の景色を観ていると、涙が自然に流れた。
現実を受け止めている自分とそうではない自分
「やっぱり、認知症は治らないんだな…」
という気持ちと、父の骨折で、先月の予定を今月にずらしていたので、また予定をキャンセルしなければならない、という葛藤が入り混じった感情がこの時は込み上げてきたのだと思う。
ある程度の覚悟はしながら母との時間を過ごしてきたが、想定外のことが起こると、まだそれに対応をしきれない自分もいる。
しかし、母の認知症が分かってから、両親との時間を大切にしている自分は間違ってはいないはず。
自分にそう言い聞かせながら、電車の窓の向こうに建つビル群を眺めながら電車に揺られていた。
電車が到着する手前で、涙を手で拭い電車を降りた。
そしてスーツケースを引きながら、新幹線ホームまで走った。
タッチの差で間に合わず、12分後に出発する各駅停車の新幹線に乗り込んだ。
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