50代は自分の思いに忠実に生きる 身軽になるのと考え方が小さくなるのは別
将来は、「静かに年金で細々と暮らしたい」「地方に移住をして、ゆっくりと流れる時間の中で暮らしたい」と考える人は、昔も今も一定数いるようです。
世代を問わず「持たない暮らし」「ミニマムな暮らし」など、自分の好きなものだけに絞って、おしゃれに小さく暮らすことに注目を浴びてもいます。
「持たない暮らし」を少しずつ実践をしていくと、思考も生活も風通しが良くなり、クヨクヨ悩まずにすみます。
身軽になるのと考え方が小さくなるのとは別
年齢とともに、持っているものをコンパクトにしてくのは大賛成。
モノの管理や片付け、探し物をする時間と労力が省けて、心も体軽くなるものです。
しかし、暮らしを小さくしたからといって、考え方や生き方まで小さくまとまらなくてもいいとは思います。
支出を控えて、できるだけお金を使わないようにしようとすると、考え方も小さくなりがちです。
日々の活動も人間関係も狭まって、ささやかな幸せばかりに目が向くようになるのです。
近頃、私はそれを感じています。
ささやかな幸せも大事である一方で、自分の可能性に自分で蓋をしてしまっているというような。
さまざまなものに触れたり、自分が考えている以外の経験をすることは、自分の枠を広げることになります。
限られた環境や人間関係の中では、感性も鈍くなり、考え方も凝り固まって思い込みにとらわれるようになるものです。
50代からは特に自分の思いには忠実でいたい
自分が病気になったとき「もう、充分でしょ?」という思いでいっぱいになることもありました。
しかし、もう1人の自分が「本当にそれでいいの?まだやれる事があるでしょ」と囁くのです。
きっとまだ、自分をあきらめきれず限界に達していないのでしょうね。
だから、また新しい扉を開けて、やれる事をやってみようという思いには忠実でありたいと思うのです。
人生の幸せをどう捉えるかは人それぞれですが、50代に入ると多くは「老後ささやかな幸せがあれば良い」と幸せも小さくまとまりがちです。
「家族と穏やかに過ごせればいい」「おいしいご飯と家があればいい」「趣味があればいい」「親しい友人がいればい」と、『50代だから』という波に浮遊する気持ちが強くなり、仕事も「疲れない程度の仕事が良い」「やれる範囲で細々とやればいい」と、新しいことや面倒なことを避けたりするようになります。
それで充分、満足できるのなら何も言う事はありません。
でも、50代60代では、まだまだ何かにくすぶっているものがあるはずです。
「もう少し何かができるんじゃないか」という思いに蓋をしない
「もう少し何かができるんじゃないか」と思っているうちはまだ『のびしろがある証拠』です。
そんな時に動き出さなければ次の段階で動き出すことさえ億劫になり、それを過ぎると動きたくても動けないと言う状態になるでしょう。
特に50代から自分の可能性を信じて行動をしようとするなら、これまで以上に意識して、新しい情報、環境、人などに触れて、自分の中に”改革”を起こしていく必要があるのです。
“ささやかな幸せ”と、”自分の可能性を追求する幸せ”と、感じるバロメーターは別です。
自分が満足をする幸福感は、自分の可能性を信じて燃焼した先にあります。
仕事が実を結んだとき、子供が社会人になり成長しを感じた時、30年間の結婚生活が続いた時、涙が出るほどの喜びがあるのは困難や苦労を乗り越えてきたからでしょう。
幸福を得たいなら困難を避けるより、困難をもいとわない自分にできることをみつけることです。
特に人生の後半戦の50代からは、「人生経験」も上乗せできるんです。
「老後は年金暮らし」は最後に取っておいて、「自分はどこまでできるのか」と挑戦したり、「面白いことをやってやろう」と冒険したほうが楽しいではありませんか。
自分の可能性に自分で蓋をしてしまわずに、自分の”のびしろ”を信じて進んでいきましょう。
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